熱血先生はたようじ 波多洋治 BLOG

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2016年12月24日 金婚式を迎えて =波乱万丈の半生記= 波乱万丈その九

政治家の夢を実現するために、遂に戦う時が来ました。岡山県議会議員への挑戦です。私は、大学の先輩に相談に行きました。それは誠に冷たい返事でありました。「はたぁ、止めとけ!勝てるもんか。お前、教師を36年もしたんか。でも、教員の仲間は、誰も応援せんで!」。

なるほどなぁ。事実、私は県議選4回(現在4期目)、戦いましたが、教師の仲間が事務所を訪れてくれたのは、わずか3名程です。私は教師生活をスタートする時、教職員組合を脱退して、特定の労働組合に加盟して、政治運動に走り、しかも左翼的な組合活動をする県教組と対峙しておりました。もちろん教師仲間の支援を期待したことはありません。

政治家の道を志したとき、支援をする小・中・高の同級生は誰1人としていない、大学時代の友人は共産党ばかり、空手道の仲間達はほとんど政治には無関心、我が道を行くと言うタイプ。波多に繋がる親戚は誰もなく(隠岐島にはいます)、妻は戦争未亡人の母1人子1人で兄弟もなし。地盤もなければ看板もなく、わずかばかりの退職金を(株)雄豊につぎ込み、資金(鞄)もなし。まさしくやめとけ!が正解な状況でありました。

その時、まさにその時、支えてくれたのは教え子達でありました。36年間の教師生活で、私は教え子達を45組、仲人をしていたのです。この教え子達が、私の欠けている地盤にも看板にもなってくれたのです。もちろん大勢の教え子達が県外に住み、あるいは県内に住んでいても選挙区外でありました。思えば奇跡の当選にありました。

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2016年12月23日 金婚式を迎えて =波乱万丈の半生記= 波乱万丈その七

ある時、同僚の仲間が言いました。「もうすぐ定年じゃなぁ」。
「なにぃ!」教員には定められた年があって、どんなに教育を愛していても、どんなに子供達を愛していても現場を去らなければならない時がある、と言う。

誰が決めたんなら?教育は男児一生の仕事、と思ってやってきたものを、「定年ですからクビです!」そんな話なんか?「分かった、ほんなら、こっちから止めてやらぁ!」とばかり、「定年」まで2年を残していましたが、ついに退職の道を選んだのであります。58歳の時であります。


波乱万丈その八 波多洋治、旅館を買う?!
退職直後、資本金一千万を以て、株式会社雄豊(妻と長男の名前の一字)を設立。不動産と古物商の仕事であります。ちっぽけな会社です。しかし、私には会社が必要でした。なぜなら、私の教え子達が職に迷い、職を失い、路頭に迷ったときの受け皿、入れ物・袋が欲しかったのです。
何人もの教え子達の就職のお手伝いをしました。大学の先輩を頼り、教え子達の親を頼りました。しかし、時代は次第に不景気の波が押し寄せることとなり、お願いしてもお願いしても断られるようになりました。その時です。岡山の中堅ゼネコンの社長とホテルのオーナーから、「新松之江」という旅館を買ってくれないか、という話が持ち込まれました。旅館も大きく、立地条件もよく、価格は6億円でした。私はこれこそ、の恵みと思って、買いに出たのであります。

叔父の会社倒産の時に力を貸してくれた地元の銀行が、半分の3億円を融資します、と返事をくれました。後3億!残りの3億を借りるために、私は、大阪・名古屋・東京・福岡・沖縄と、走りました。しかし、世間の風は冷たかった、誰も貸してはくれませんでした。

様々な職種の生かせる職場、それが「新松之江」だったのです。受付もいる、運転手もいる、中居さんもいる、料理人にもいる、植木屋さんもいる。職に迷ったいろいろな教え子の受け皿になれる、そう思いながら融資の協力をお願いしましたが、ついに力尽きてしまいました。

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2016年12月22日 金婚式を迎えて =波乱万丈の半生記= 波乱万丈その六

いるわ、いるわ・・・ 高校生のワル達。教え甲斐、鍛え甲斐のある若者達よ。今に見ていろよ、私の手の中で踊らせてあげるからね。教育こそは男児一生の仕事、命ある限り、このワルガキ達の前で、人生を語ることが出来る。それから、格闘すること15年、教師冥利尽きるような15年間でありました。

岡工教師15年目の夏のことであります。私の隣は、家内の母の実家であり、「本家と」してのお付き合いをしておりました。叔父(家内の母の弟)は、私が妻と付き合い始めた大学生の頃から、よく面倒を見てくれていました。卒業して、新見市内に下宿する時、軽トラックに、わずかばかりの私の荷物を積んで、180号線を走って引っ越しの手伝いをしてくれました。

叔父は、水道会社を経営しており、結構羽振りも良く、地元では数少ない成功者の1人でした。しかし、突然の倒産の憂き目に遭うことになりました。負債総額10億1千万円。今こそお世話になった叔父のために恩返しをする時と思い、商売も経営も何一つわからないまま、ただひたすら「恩返し」の一念に燃えて、債権者の前に立って負債処理に当たったのであります。

銀行や債権回収機構のプロを前にして、売却寸前であった本家を守り抜くことができた、よくぞよくぞ戦ったと我ながら、あの時の無鉄砲さに驚きを禁じえないのであります。その10年後、叔父の息子(従弟)が、新たな会社を起こし、再建に乗り出し、現在従弟の息子が社長となり、一筋の灯が見えるようになり、本家再建に安堵しているところであります。

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はたようじ 波多洋治

はたようじ 波多洋治

自由民主党公認岡山県会議員

昭和18年9月14日 島根県隠岐島生れ

住所/岡山県岡山市北区白石65-3

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