熱血先生はたようじ 波多洋治 BLOG

波多洋治(はたようじ)ウェブサイトはこちら

2016年12月25日 金婚式を迎えて =波乱万丈の半生記= 波乱万丈その九

政治家の夢を実現するために、遂に戦う時が来ました。岡山県議会議員への挑戦です。私は、大学の先輩に相談に行きました。それは誠に冷たい返事でありました。「はたぁ、止めとけ!勝てるもんか。お前、教師を36年もしたんか。でも、教員の仲間は、誰も応援せんで!」。

なるほどなぁ。事実、私は県議選4回(現在4期目)、戦いましたが、教師の仲間が事務所を訪れてくれたのは、わずか3名程です。私は教師生活をスタートする時、教職員組合を脱退して、特定の労働組合に加盟して、政治運動に走り、しかも左翼的な組合活動をする県教組と対峙しておりました。もちろん教師仲間の支援を期待したことはありません。

政治家の道を志したとき、支援をする小・中・高の同級生は誰1人としていない、大学時代の友人は共産党ばかり、空手道の仲間達はほとんど政治には無関心、我が道を行くと言うタイプ。波多に繋がる親戚は誰もなく(隠岐島にはいます)、妻は戦争未亡人の母1人子1人で兄弟もなし。地盤もなければ看板もなく、わずかばかりの退職金を(株)雄豊につぎ込み、資金(鞄)もなし。まさしくやめとけ!が正解な状況でありました。

その時、まさにその時、支えてくれたのは教え子達でありました。36年間の教師生活で、私は教え子達を45組、仲人をしていたのです。この教え子達が、私の欠けている地盤にも看板にもなってくれたのです。もちろん大勢の教え子達が県外に住み、あるいは県内に住んでいても選挙区外でありました。思えば奇跡の当選にありました。

>>記事の一覧はこちら

2016年12月24日 金婚式を迎えて =波乱万丈の半生記=  波乱万丈その八

退職直後、資本金一千万を以て、株式会社雄豊(妻と長男の名前の一字)を設立。不動産と古物商の仕事であります。ちっぽけな会社です。しかし、私には会社が必要でした。なぜなら、私の教え子達が職に迷い、職を失い、路頭に迷ったときの受け皿、入れ物・袋が欲しかったのです。
何人もの教え子達の就職のお手伝いをしました。大学の先輩を頼り、教え子達の親を頼りました。しかし、時代は次第に不景気の波が押し寄せることとなり、お願いしてもお願いしても断られるようになりました。

その時です。岡山の中堅ゼネコンの社長とホテルのオーナーから、「新松之江」という旅館を買ってくれないか、という話が持ち込まれました。旅館も大きく、立地条件もよく、価格は6億円でした。私はこれこそ、の恵みと思って、買いに出たのであります。
叔父の会社倒産の時に力を貸してくれた地元の銀行が、半分の3億円を融資します、と返事をくれました。後3億!残りの3億を借りるために、私は、大阪・名古屋・東京・福岡・沖縄と、走りました。しかし、世間の風は冷たかった、誰も貸してはくれませんでした。

様々な職種の生かせる職場、それが「新松之江」だったのです。受付もいる、運転手もいる、中居さんもいる、料理人にもいる、植木屋さんもいる。職に迷ったいろいろな教え子の受け皿になれる、そう思いながら融資の協力をお願いしましたが、ついに力尽きてしまいました。

>>記事の一覧はこちら

2016年12月23日 金婚式を迎えて =波乱万丈の半生記= 波乱万丈その七

ある時、同僚の仲間が言いました。「もうすぐ定年じゃなぁ」。
「なにぃ!」教員には定められた年があって、どんなに教育を愛していても、どんなに子供達を愛していても現場を去らなければならない時がある、と言う。

誰が決めたんなら?教育は男児一生の仕事、と思ってやってきたものを、「定年ですからクビです!」そんな話なんか?「分かった、ほんなら、こっちから止めてやらぁ!」とばかり、「定年」まで2年を残していましたが、ついに退職の道を選んだのであります。58歳の時であります。


波乱万丈その八 波多洋治、旅館を買う?!
退職直後、資本金一千万を以て、株式会社雄豊(妻と長男の名前の一字)を設立。不動産と古物商の仕事であります。ちっぽけな会社です。しかし、私には会社が必要でした。なぜなら、私の教え子達が職に迷い、職を失い、路頭に迷ったときの受け皿、入れ物・袋が欲しかったのです。
何人もの教え子達の就職のお手伝いをしました。大学の先輩を頼り、教え子達の親を頼りました。しかし、時代は次第に不景気の波が押し寄せることとなり、お願いしてもお願いしても断られるようになりました。その時です。岡山の中堅ゼネコンの社長とホテルのオーナーから、「新松之江」という旅館を買ってくれないか、という話が持ち込まれました。旅館も大きく、立地条件もよく、価格は6億円でした。私はこれこそ、の恵みと思って、買いに出たのであります。

叔父の会社倒産の時に力を貸してくれた地元の銀行が、半分の3億円を融資します、と返事をくれました。後3億!残りの3億を借りるために、私は、大阪・名古屋・東京・福岡・沖縄と、走りました。しかし、世間の風は冷たかった、誰も貸してはくれませんでした。

様々な職種の生かせる職場、それが「新松之江」だったのです。受付もいる、運転手もいる、中居さんもいる、料理人にもいる、植木屋さんもいる。職に迷ったいろいろな教え子の受け皿になれる、そう思いながら融資の協力をお願いしましたが、ついに力尽きてしまいました。

>>記事の一覧はこちら

<<前へ 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 次へ>>

はたようじ 波多洋治

はたようじ 波多洋治

自由民主党公認岡山県会議員

昭和18年9月14日 島根県隠岐島生れ

住所/岡山県岡山市北区白石65-3

>>詳しくはこちら

熱血会 はたようじ後援会事務所 地図を表示

定例会 会議録

明日の日本のために

波多洋治を支援する企業熱血会のご案内

北朝鮮拉致 署名にご協力ください

5年間の議会質問実績