2014年01月29日 102歳の父がテレビに出ました。まだまだ元気で長生きしてほしい!
1月11日、TBS系テレビ番組「報道特集」の中で、父の波多総一が登場しました。
いろいろな方から、「おやじさんのテレビ見たよ。元気なんだね」と電話をいただきました。ありがとうございます。
昨年10月、日本傷痍軍人会が創立60周年記念式典をもって解散することとなり、父は東京まで出かけていきました。会員の中で、父は最高齢の102歳です。式典の中で元気に歩いて、「これで傷痍軍人会を解散します」と宣言された時、父が「感無量」という言葉を発したのですけれども、その様子がテレビに映されておりました。
その後も、故郷の父の元へテレビ取材が入りました。亡くなった母がきちんと整理をしていたのですけれども、戦争の時に身につけていた千人針や、日の丸を背中に縫い付けた下着などをお見せして、カメラに向かって戦争体験を語っておりました。
下着の日の丸の部分には1ヶ所穴があいており、その周囲は血に染まっております。これは、日中戦争の最前線で戦った際、敵の銃弾を受けて胸部貫通の傷を負った時の痕跡です。父は、「いったんは死んでいたのだが、なぜか生き返って目を開けた。必死に這い上がって、なぜか助かった」といつも言っております。
放映後、たくさんの方からご連絡をいただきましたが、大変嬉しいこともありました。広島の懐かしい知人から電話があり、「たまたまテレビを見ていると、波多総一さんという方が出ておられた。先生とはどういうご関係ですか」と聞かれました。「私の父です」と申しますと、「本当にお元気ですね。102歳で目をきらきら輝かせている姿を見て、むち打たれました。私もここでくたばってはいけない。波多さんのように頑張って生きなければならないと教えられました」というようにおっしゃられました。
お聞きしますと、この方は、昨年ご主人を亡くされたそうです。生きる希望や柱みたいなものを失ってどんどん憂鬱になってしまい、年が明けても沈んだ状態で、「いつ死んでもいいわ」と思われていたのだそうです。ところが、テレビで父の姿をご覧になって元気を取り戻された様子です。私も、とても嬉しく思いました。
元旦の日に、父に電話をしたところ、「おう、洋治か。元気か」と言われました。思わず、「おやじ、それは俺の台詞じゃ」と返して、大笑いをいたしました。今年も元気で正月を迎えられてよかったなと、ただただ感謝しております。
父の暮らす海士町には、まだまだ年長の人がおられるので、父は長寿番付では横綱になれず大関です。大方の人は病床に伏して年を重ねておられる様子ですが、その点、父は二本足でしっかり歩いて、意識も言うこともしゃんとして、酒も飲みます。まことに、ありがたいことです。
父が生きている限り、私自身は、「70歳を数えても、まだ子ども」みたいなところもありますが、とにもかくにも、親というのはとにかく元気で長生きしてほしい存在であります。
- |徒然
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