2015年02月18日 ISIL 日本人 殺害事件について思う
梅が咲く頃となりました。「梅花 早春に開く」「梅は寒苦を経て 清香を発す」ともいわれています。冬の寒さに耐えた者ほど、春の暖かさ穏やかさを感じることとも思います。
さて、いわゆるイスラム国と称するテロ組織ISILによる、許しがたい日本人2人の殺害事件について、私の思うところを述べてみたいと思います。
2人の日本人を72時間後に殺害するという警告が発せられ、日本円にして236億円という2億ドルの身代金が要求されたのは、まだ記憶に新しいことであります。安倍総理は、「我が国は断固としてテロに屈しない」という姿勢でこれに対応しましたけれども、労虚しく、卑劣にも殺害されるという悲劇で幕を閉じました。
今、世界はグローバル化されております。我が国は中近東から8‚500km離れておりますが、日本人はさらに遠くへ世界の隅々にまで旅をしたり、現地で従業員として働いたりしています。それらの日本人の命が今後、彼らテロリストのターゲットとなる可能性も否定できないのであります。このような人質事件に対し、我が日本国、我ら日本人は、どのように対処すべきか考えることも必要でありましょう。
思い起こせば、昭和52年、1977年9月28日に日本赤軍によるダッカハイジャック事件が起こりました。時の福田赳夫総理は、「人の命は地球よりも重い」という超法規的措置を取り、テロリストの要求通り、過激派の服役囚6人と身代金600万ドルを犯人に引き渡し、しかも、解放した過激派に日本のパスポートを携行させたのでありました。その後、釈放された過激派達によるテルアビブ空港乱射事件が発生し、罪もない多くの人達が無残にも殺されるというような事件が起こりました。
まさしく、今回テロに屈し2億ドルの身代金を提供すれば、彼らテロリストはその2億ドルの身代金によって、さらに多くのテロリストを雇い、さらに殺傷能力の高い武器を仕入れ、多くの無垢の人を殺すことになったのでありましょう。
ところで、ダッカハイジャック事件が起こる5年前、ミュンヘンオリンピックが開催された1972年に、イスラエルの選手とコーチ10数名がパレスチナ過激派のブラック・セプテンバーのメンバーにより、射殺される事件が起こりました。
当時のイスラエルの首相は、ゴルダ・メイアという74歳の女性でありました。彼女はただちに神の怒り作戦を発動しました。パレスチナを空爆し、「テロリストを地球の果てまで追い詰めて復讐する」と誓ったのであります。そして、宣言通り、数年かかりましたが、ブラック・セプテンバーに裁きを下したのであります。以来、国際社会にあっては、イスラエル人をターゲットにする人質事件は二度と起こってはおりません。
安部首相の強い決断の中に、テロリストを許さないという発言と同時に、日本人を殺害した人物を許さない、必ず復讐するという発言がなかったのは大変残念なことであったと思います。ゴルダ・メイア首相のような厳しく断固たる決断なくして、国民を守ることはできないのではないでしょうか。そしてそのことが、二度とこのような非人道的で残虐極まりないテロの再発を防止する唯一の決め手となるのではないでしょうか。
湯川氏、後藤氏の両名は、捕らえられたのはやむをえないことであったでしょう。捕らえられた後は、地球よりも重い自分の命を身代金の道具にされ利用されるという立場を感得するべきであり、自らの命をどう律するかということも問われていたのではないかと思います。仮にも、2億円が支払われて命永らえることができたとしても、我が国と我が国国民に対して多大な迷惑をかけたことは許されるべきではありません。そして、男としての汚名を晒すことになると思います。
テレビや新聞などのメディアを見るにつけ、国がどう対応したか、家族の思いにどう応えるか、そういう面ばかりが強調されていたのではないでしょうか。国家間のこと、シリアがどうの、トルコがどうのということも放送されてはおりました。しかしながら、そこへ赴いたその人自身の生き様についてはどうであったのか、問われてはいなかったのではないでしょうか。
警察権や自衛権の届かない地域、パスポートが通用しない地域に、あえて身を投じるのであります。そういう世界にひとたび足を踏み入れるならば、国の力をも周辺国の力をも頼ることなく、自らの生き様は自ら決すという覚悟が必要ではなかったかとも思います。
もし私であったなら、私はサムライですから、生きたまま恥を晒すことはいたしません。自ら割腹し、サムライの生き方を貫くしかありません。割腹さえすれば、大きな悲しみはあるけれども、悲しみを乗り越えるほどの日本人の名誉を守ることはできるのではないかと思うのであります。
戦後、日本は、金が全てというさもしい風潮が蔓延しました。また、金よりも命が重いという風潮もあります。しかし、命よりも重いものがあるということを誰も教えてはくれませんでした。大東亜戦争の最中、若き兵士達が国を思い故郷を思い、残された父母や兄弟を思いながら、玉と砕け散り散華されました。私は、英霊のその気持ちに思いを馳せるのであります。日本国を背負った一人の兵士として、生き様を示すべきであると思うのであります。
もう一つ、残念だと思うのは、世界が何もできなかったということであります。何のためにあれほどの世界大戦を経た後に、我々は国家の枠を越え、国際連合を作ってきたのでありましょうか。それはまさに、世界の平和に寄与するためであります。テロリストが世界の平和に寄与する行為なのか。違うでしょう。それをむしろ撲滅しなければならない対象でありながら、国連として何もできなかった。一体、国連とは何なのだ、そんな思いがあります。
地球上、それぞれの民族の自決は認められているということでもって、それ以上の警察権もなければ、世界を統率する権限もないのであります。そういう社会にあって、非人道的なこと、あるいは、テロリズム暴力主義に対して、世界が毅然として立ち向かっていくという組織こそが、国際連合でなければならないのではありませんか。それなのに、いささかも動くことができなかった。
警察官も裁判官もいない世界でこそ、我々人類の叡智として作り上げた国際連合が全く機能していなかった。誠に残念極まりないことであります。世界がこういう問題を通して、一国の安全保障問題を考えていかなければならないのであります。
さて、いわゆるイスラム国と称するテロ組織ISILによる、許しがたい日本人2人の殺害事件について、私の思うところを述べてみたいと思います。
2人の日本人を72時間後に殺害するという警告が発せられ、日本円にして236億円という2億ドルの身代金が要求されたのは、まだ記憶に新しいことであります。安倍総理は、「我が国は断固としてテロに屈しない」という姿勢でこれに対応しましたけれども、労虚しく、卑劣にも殺害されるという悲劇で幕を閉じました。
今、世界はグローバル化されております。我が国は中近東から8‚500km離れておりますが、日本人はさらに遠くへ世界の隅々にまで旅をしたり、現地で従業員として働いたりしています。それらの日本人の命が今後、彼らテロリストのターゲットとなる可能性も否定できないのであります。このような人質事件に対し、我が日本国、我ら日本人は、どのように対処すべきか考えることも必要でありましょう。
思い起こせば、昭和52年、1977年9月28日に日本赤軍によるダッカハイジャック事件が起こりました。時の福田赳夫総理は、「人の命は地球よりも重い」という超法規的措置を取り、テロリストの要求通り、過激派の服役囚6人と身代金600万ドルを犯人に引き渡し、しかも、解放した過激派に日本のパスポートを携行させたのでありました。その後、釈放された過激派達によるテルアビブ空港乱射事件が発生し、罪もない多くの人達が無残にも殺されるというような事件が起こりました。
まさしく、今回テロに屈し2億ドルの身代金を提供すれば、彼らテロリストはその2億ドルの身代金によって、さらに多くのテロリストを雇い、さらに殺傷能力の高い武器を仕入れ、多くの無垢の人を殺すことになったのでありましょう。
ところで、ダッカハイジャック事件が起こる5年前、ミュンヘンオリンピックが開催された1972年に、イスラエルの選手とコーチ10数名がパレスチナ過激派のブラック・セプテンバーのメンバーにより、射殺される事件が起こりました。
当時のイスラエルの首相は、ゴルダ・メイアという74歳の女性でありました。彼女はただちに神の怒り作戦を発動しました。パレスチナを空爆し、「テロリストを地球の果てまで追い詰めて復讐する」と誓ったのであります。そして、宣言通り、数年かかりましたが、ブラック・セプテンバーに裁きを下したのであります。以来、国際社会にあっては、イスラエル人をターゲットにする人質事件は二度と起こってはおりません。
安部首相の強い決断の中に、テロリストを許さないという発言と同時に、日本人を殺害した人物を許さない、必ず復讐するという発言がなかったのは大変残念なことであったと思います。ゴルダ・メイア首相のような厳しく断固たる決断なくして、国民を守ることはできないのではないでしょうか。そしてそのことが、二度とこのような非人道的で残虐極まりないテロの再発を防止する唯一の決め手となるのではないでしょうか。
湯川氏、後藤氏の両名は、捕らえられたのはやむをえないことであったでしょう。捕らえられた後は、地球よりも重い自分の命を身代金の道具にされ利用されるという立場を感得するべきであり、自らの命をどう律するかということも問われていたのではないかと思います。仮にも、2億円が支払われて命永らえることができたとしても、我が国と我が国国民に対して多大な迷惑をかけたことは許されるべきではありません。そして、男としての汚名を晒すことになると思います。
テレビや新聞などのメディアを見るにつけ、国がどう対応したか、家族の思いにどう応えるか、そういう面ばかりが強調されていたのではないでしょうか。国家間のこと、シリアがどうの、トルコがどうのということも放送されてはおりました。しかしながら、そこへ赴いたその人自身の生き様についてはどうであったのか、問われてはいなかったのではないでしょうか。
警察権や自衛権の届かない地域、パスポートが通用しない地域に、あえて身を投じるのであります。そういう世界にひとたび足を踏み入れるならば、国の力をも周辺国の力をも頼ることなく、自らの生き様は自ら決すという覚悟が必要ではなかったかとも思います。
もし私であったなら、私はサムライですから、生きたまま恥を晒すことはいたしません。自ら割腹し、サムライの生き方を貫くしかありません。割腹さえすれば、大きな悲しみはあるけれども、悲しみを乗り越えるほどの日本人の名誉を守ることはできるのではないかと思うのであります。
戦後、日本は、金が全てというさもしい風潮が蔓延しました。また、金よりも命が重いという風潮もあります。しかし、命よりも重いものがあるということを誰も教えてはくれませんでした。大東亜戦争の最中、若き兵士達が国を思い故郷を思い、残された父母や兄弟を思いながら、玉と砕け散り散華されました。私は、英霊のその気持ちに思いを馳せるのであります。日本国を背負った一人の兵士として、生き様を示すべきであると思うのであります。
もう一つ、残念だと思うのは、世界が何もできなかったということであります。何のためにあれほどの世界大戦を経た後に、我々は国家の枠を越え、国際連合を作ってきたのでありましょうか。それはまさに、世界の平和に寄与するためであります。テロリストが世界の平和に寄与する行為なのか。違うでしょう。それをむしろ撲滅しなければならない対象でありながら、国連として何もできなかった。一体、国連とは何なのだ、そんな思いがあります。
地球上、それぞれの民族の自決は認められているということでもって、それ以上の警察権もなければ、世界を統率する権限もないのであります。そういう社会にあって、非人道的なこと、あるいは、テロリズム暴力主義に対して、世界が毅然として立ち向かっていくという組織こそが、国際連合でなければならないのではありませんか。それなのに、いささかも動くことができなかった。
警察官も裁判官もいない世界でこそ、我々人類の叡智として作り上げた国際連合が全く機能していなかった。誠に残念極まりないことであります。世界がこういう問題を通して、一国の安全保障問題を考えていかなければならないのであります。
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