2015年09月08日 不易流行! 教師にとって大切なこととは
二学期が始まりました。子ども達は元気に学校に行っているでしょうか。
8月下旬に全国学力テストの結果が発表されていましたね。岡山県は、小学校6年が前年度38位から28位、中学校3年が前年度42位から41位となっておりました。
来年は、岡山県が全国学力テストで10位以内になるとした宣言をした年です。目標をクリアできるかどうか、どこまで順位をあげられるか。テストまで時間もそうはなく、今の小学校5年生、中学校2年生はラストスパートの時期に入っております。
私は36年間教職にあり、子ども達と接してきました。教え子の中に中学校の先生をしているF君という子がいます。岡大を卒業して教師になったのですけれども、ある時同窓会で、「私は小学校3、4年生で勉強して、岡大に入りました」と言っていました。小・中学校では、勉強のための集中力と、やる気を養っていくことが大切です。そのためには、知らないことを知る時の喜びを教えてあげたらいいのだと思います。
「どうすれば勉強が面白くなるか」ということこそ、教師が考えなければならないことであり、やる気を育てるのも教師の仕事なのであります。また、「スマホやテレビ、漫画よりも、勉強のほうがもっと楽しい」「家でゴロゴロしているよりは、クラスの友達と遊ぶほうが楽しい」、そんな環境づくりが重要なのではないでしょうか。そして、何より一番大事なことは、「教師が子どもに惚れる」「子どもが教師に惚れる」ことであります。
私には、「良寛たれ」という思いがありました。子どもと隠れんぼをすれば、日が暮れて子どもが帰ってしまっても、子どもが探しにくるのをじっと待っている。あの良寛さんのような、子どもに寄り添い、子どもを信じて生きるように、「良寛たれ」と思っていたのです。
今の教師は、「忙しい、忙しい」で、子どもと遊ぶ時間がないといいます。私が教師の時代は、当然、週休二日制ではありませんでした。日曜日が空いていたら子どもを連れて、山に川に海に遊びに行ったり、一緒に映画を見に行ったり、池田動物園に行ったりしていました。親に対して学級通信を書いて、子どもの文集を作って、親の文集まで作りました。
もちろん、それだけの時間を生むためには、どこかが犠牲になっていたと思います。家庭を守るとか、家族を守るとか、当然自分の心の中に決意としてありましたけれども、物理的に、時間を割いてやるなどのことはおそらく犠牲になっていたと思います。また、自分の趣味や特技、遊び、そういうものが犠牲になっていたようにも思います。遊びといえば子どもと遊ぶ、勉強するといえば子どもと勉強する。こんなふうに子どもに寄り添って、教師として生きてきた気がします。
それに、子ども達と勉強したり遊んだりすることに、ひたすら情熱をかけることができた環境ではあった気がします。今はその環境が失われているとすれば、教育が歪んでいるというか、環境そのものが、教育にふさわしいものではないのかもしれません。教師が自由闊達に学級経営に取り組むことができなければ、イキイキとした学級生活や学校生活は築くことができないのではないかなあ。そして、できていないのが、今の現状ではないのかなあという気もいたします。
世の中も、技術も環境も変わってはいくし、時代の流れもあるでしょう。しかし、教育の世界だけは、どんな時代であろうとも、外の世界にどんな風が吹こうとも、子どもと相対して一緒に学んでいく。そんな姿勢は変わるものではありません。変えてはならないものだと私は思います。
私は、24歳の時から6年間、岡山市原尾島にある岡山市立宇野小学校に勤めておりました。その時の校長先生は秋山肇校長でありまして、秋山校長先生の寛容の精神に、当時の教職員はみな心底慕っておりました。
秋山会という旧職員会があり、退職した先生や学校を離れた先生も在籍しており、今でも交流が続いています。もうその会員が増えることもなく、だんだん減ってはいくのですが、それでも毎年10人くらい8月に秋山会で集まっています。若い時に出会った先生方との交流が、50年近くも続いているということに、教師の人間的なつながりの不思議を感じます。
当時は、校長先生や先輩教師の皆さんの大きな庇護のもとに、ほんとうに好きな様に自由闊達に教育活動に取り組めました。周りの先生には、おそらく大きな迷惑をかけたと思いますけれども、原則、自由闊達というか、そういう心が保障されていたように思います。ですから、私自身がのびのびと、子どもに思い切りぶつかっていけたんじゃないでしょうか。
今、高校の教師が空手道を我が至誠館に習いに来ており、しばしば教育談義をする機会があります。息子よりも若いような年齢なのですが、向き合っている子ども達のことを語り合えば、話題は尽きず、十分に心が通じあい意気が感じあえるのであります。
教師の意気に感じ、教師の心が繋がっていくことを考えれば、教師として変わらないものがあるのではないでしょうか。50年前であろうと、40年前、30年前であろうと、教師の根本はいささかも変わらないのではないかなあと感じるのであります。不易流行。それが教師という職業の素晴らしさかなあと感じるのであります。
8月下旬に全国学力テストの結果が発表されていましたね。岡山県は、小学校6年が前年度38位から28位、中学校3年が前年度42位から41位となっておりました。
来年は、岡山県が全国学力テストで10位以内になるとした宣言をした年です。目標をクリアできるかどうか、どこまで順位をあげられるか。テストまで時間もそうはなく、今の小学校5年生、中学校2年生はラストスパートの時期に入っております。
私は36年間教職にあり、子ども達と接してきました。教え子の中に中学校の先生をしているF君という子がいます。岡大を卒業して教師になったのですけれども、ある時同窓会で、「私は小学校3、4年生で勉強して、岡大に入りました」と言っていました。小・中学校では、勉強のための集中力と、やる気を養っていくことが大切です。そのためには、知らないことを知る時の喜びを教えてあげたらいいのだと思います。
「どうすれば勉強が面白くなるか」ということこそ、教師が考えなければならないことであり、やる気を育てるのも教師の仕事なのであります。また、「スマホやテレビ、漫画よりも、勉強のほうがもっと楽しい」「家でゴロゴロしているよりは、クラスの友達と遊ぶほうが楽しい」、そんな環境づくりが重要なのではないでしょうか。そして、何より一番大事なことは、「教師が子どもに惚れる」「子どもが教師に惚れる」ことであります。
私には、「良寛たれ」という思いがありました。子どもと隠れんぼをすれば、日が暮れて子どもが帰ってしまっても、子どもが探しにくるのをじっと待っている。あの良寛さんのような、子どもに寄り添い、子どもを信じて生きるように、「良寛たれ」と思っていたのです。
今の教師は、「忙しい、忙しい」で、子どもと遊ぶ時間がないといいます。私が教師の時代は、当然、週休二日制ではありませんでした。日曜日が空いていたら子どもを連れて、山に川に海に遊びに行ったり、一緒に映画を見に行ったり、池田動物園に行ったりしていました。親に対して学級通信を書いて、子どもの文集を作って、親の文集まで作りました。
もちろん、それだけの時間を生むためには、どこかが犠牲になっていたと思います。家庭を守るとか、家族を守るとか、当然自分の心の中に決意としてありましたけれども、物理的に、時間を割いてやるなどのことはおそらく犠牲になっていたと思います。また、自分の趣味や特技、遊び、そういうものが犠牲になっていたようにも思います。遊びといえば子どもと遊ぶ、勉強するといえば子どもと勉強する。こんなふうに子どもに寄り添って、教師として生きてきた気がします。
それに、子ども達と勉強したり遊んだりすることに、ひたすら情熱をかけることができた環境ではあった気がします。今はその環境が失われているとすれば、教育が歪んでいるというか、環境そのものが、教育にふさわしいものではないのかもしれません。教師が自由闊達に学級経営に取り組むことができなければ、イキイキとした学級生活や学校生活は築くことができないのではないかなあ。そして、できていないのが、今の現状ではないのかなあという気もいたします。
世の中も、技術も環境も変わってはいくし、時代の流れもあるでしょう。しかし、教育の世界だけは、どんな時代であろうとも、外の世界にどんな風が吹こうとも、子どもと相対して一緒に学んでいく。そんな姿勢は変わるものではありません。変えてはならないものだと私は思います。
私は、24歳の時から6年間、岡山市原尾島にある岡山市立宇野小学校に勤めておりました。その時の校長先生は秋山肇校長でありまして、秋山校長先生の寛容の精神に、当時の教職員はみな心底慕っておりました。
秋山会という旧職員会があり、退職した先生や学校を離れた先生も在籍しており、今でも交流が続いています。もうその会員が増えることもなく、だんだん減ってはいくのですが、それでも毎年10人くらい8月に秋山会で集まっています。若い時に出会った先生方との交流が、50年近くも続いているということに、教師の人間的なつながりの不思議を感じます。
当時は、校長先生や先輩教師の皆さんの大きな庇護のもとに、ほんとうに好きな様に自由闊達に教育活動に取り組めました。周りの先生には、おそらく大きな迷惑をかけたと思いますけれども、原則、自由闊達というか、そういう心が保障されていたように思います。ですから、私自身がのびのびと、子どもに思い切りぶつかっていけたんじゃないでしょうか。
今、高校の教師が空手道を我が至誠館に習いに来ており、しばしば教育談義をする機会があります。息子よりも若いような年齢なのですが、向き合っている子ども達のことを語り合えば、話題は尽きず、十分に心が通じあい意気が感じあえるのであります。
教師の意気に感じ、教師の心が繋がっていくことを考えれば、教師として変わらないものがあるのではないでしょうか。50年前であろうと、40年前、30年前であろうと、教師の根本はいささかも変わらないのではないかなあと感じるのであります。不易流行。それが教師という職業の素晴らしさかなあと感じるのであります。
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