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2017年05月17日 憲法記念日に思う


ポリティカルコレクトという言葉がありますね。「政治的に正しい」という意味で、例えば、「人種差別をしない」「人類は皆、平等である」などがあります。

トランプ大統領が、メキシコとの国境に塀を作り、難民を入れないようにするというのは、いわゆるポリティカルコレクトに対する挑戦ではないでしょうか。

民族、生まれ、育ち。皆、100人100様の違いがあります。性差別、人種差別、国境の違いによる差別。そういう壁を乗り越えて、どうやって仲良く睦まじくやっていくかというのが、ある種、私達が最終的に望むところであります。その目標となるものが、ポリティカルコレクトであります。しかし、理屈では分かることではありますが、心情的にはどうでしょう。ダイレクトに通用する世界なのでしょうか。そこには難しいものがあります。

「人種差別をしてはならない」ということに対して、天下のアメリカ大統領が、「難民を一切受け入れない」といって大統領令を出します。しかし、ご存知のように、裁判所によって、この大統領令は否決されました。裁判所は、ポリティカルコレクトによって判断をしているからであります。
大統領とは、国内政治家の統治者であります。統治者が統治をする時に、そこには差別というような問題があり、大きな壁があるという現実をふまえて判断していくわけであります。トランプ大統領の判断は、「ポリティカルコレクトが全て正しい」ということに対する挑戦だと思うのであります。果たして、それが間違っているといえるでしょうか。

ヨーロッパは難民を受け入れております。しかし、それに反発してイギリスがEUを離脱します。フランスには極右政党が出てきて、EU脱退とか、難民を受け入れないとか主張しています。これからどうなっていくのか、大変気になる問題であります。

トランプ大統領は、「アメリカ・ファースト」と言います。この言葉に、「ファースト」と「ファースト」のぶつかり合いがありますよ、ということが示唆されているような気がするのです。「ファースト」というのは国家的利益、ナショナルインタレストといえるでしょう。国家的利益を主張するがゆえにぶつかり合い、有事が起こるという可能性は、誰も否定できないのではないでしょうか。


日本は、昭和20年8月15日の敗戦時、憲法9条に、陸海空軍を保持しないし、交戦権を認めないとしています。
今年は、憲法施行後70年目に当たります。この70年間、大事に憲法を守ってきたのですが、果たしてそれでよいのだろうかと疑問に思うのであります。例えば、海上自衛隊・陸上自衛隊・航空自衛隊なるものは、海軍・陸軍・空軍の「軍」に当たらないのでしょうか。当たるものを当たらないとすること自体が、非常なまやかし、欺瞞ではありませんか。

「国の交戦権は認めない」といいますけれども、国家の一つの生存権というのは、領土や国民を守ることにあるわけです。その領土も国民も守ることができない状況になって、「交戦権は認めない」ということになったら、いったいどうなるのか。領土や国民を守ってこその国家の使命であって、そこにも矛盾が起こるのではありませんか。
矛盾を回避しようとすれば、現実をふまえた憲法の在り方を考えなければならないでしょう。少なくとも、70年前の憲法が捉えていた現実社会と今日とでは、変化も発展もし、掌握しきれない問題もたくさん起こっているのではありませんか。

それらを考えた時、憲法を見る場合に、金科玉条の憲法を守り通すというだけではなく、現実をふまえた対応をどうするかという見方も必要なのではないでしょうか。そういう意味で、憲法を守る護憲派からも、憲法を改正するという改正派からも、その意見を客観的に検討していく必要があります。そういう時代が来ていると思うのであります。

私としては、「陸海空軍を保持しない、交戦権を認めない」という、人間の理想を書くという部分があってもいいと思います。しかし、「有事の時は、とはいうものの、我が国の国民や領土を守るために、独立国家日本を守るために、戦わなければならない」という部分が必要な気がします。
そして、憲法が美しい日本語で書かれるべきなのはさりながら、敗戦時の主権がない占領下で押し付けられた憲法を、国会の決議をもってまず廃棄し、新しい憲法を国会決議をするという手順を踏んでほしいと思います。内容的にほとんど現憲法と同じであったにしても、やはり、主権国家日本として新しい憲法を採択すべきなのであります。

新聞には、「憲法改正の機は熟した」と安倍総理の言葉がありました。しかし、緊急事態条項を加えるとか環境権を加えるとか、方向がすでに、条文の部分改正のような方向になっている気がして、納得できません。
逐条改正や部分改正をするにしても、加憲をするにしても、昭和20年の敗戦時、占領下に入った状況下で英文の憲法原文を押し付けられたという、その状態をいったん抜け出さない限り、独立国家日本・主権国家日本の、国家の名誉は回復できないのではないでしょうか。

皆さんも、改めて考えてみてください。

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