2017年06月01日 スマホ依存症、インターネット依存症の問題にどう取り組んでいくか
スマホやインターネット依存症が大きな問題となっております。日本全国でいえば、大人のスマホ依存症は270万人、中高校生は57万8千人というようなデータが出ています。
4月28日には、教育庁の生徒指導推進室より、「スマートフォン等の利用に関する実態調査報告」がありました。1日のスマホ利用時間を見てみますと、実に、5時間以上という回答でした。これは明らかにネット依存症という傾向になります。
スマホを見ている時間が長くなればなるほど、当然、本来しなければならないものの時間が犠牲になっていきます。中学・高校でいうと、勉強時間や睡眠時間が失われることになります。そして、昼夜の逆転現象が起きるのであります。
「深夜までスマホを見ていたため、朝、起きたら身体がだるい。学校へ行けない」。そのような状況が起こっているのです。結果として、成績が下がる。睡眠障害が起こる。また、全く動かないので、体力が低下する。ずっと座ったり寝転がったりしているので、骨密度が低下して骨粗鬆症になる。あるいは、視力が低下する。食事もおろそかになり、栄養不足が起こる。精神的にも身体的にも、様々な問題を引き起こしています。
また、課金制のネットゲームや動画サイト、ネットショッピングの利用によって、どんどんお金を使ってしまうという問題もあります。スキルさえあれば、スマホやインターネットは誰でも利用することができます。あとは精神力というか、自分や自分の時間、そういったものをコントロールできるかどうか。自分でコントロールする力を持っていなければ、結局溺れてしまうのです。そういう現象が、今、起こっているように思えます。
さらに、少年非行との関わりの問題もあります。コミュニティサイトなどインターネットを利用した犯罪が、非常に多くなってきているのです。
先般、警察庁が、少年非行と児童虐待、性的搾取の状況をまとめた報告をいたしました。青少年保護育成条例違反などの犯罪に巻き込まれた18歳未満の少年達が、インターネットのツイッターなどのコミュニティサイトを利用して犯罪に及んだ件数は、昨年1年間で、2564件に上っています。そして、驚くことに、被害者の95%が少女だったのであります。
インターネットの情報には、そもそも、少年用とか大人用とかはありません。自由に見ようと思えば、誰だって見ることができ、必要とする情報にたどり着くことができます。教育的な措置として、子ども用のスマホに、単に、見てはいけないサイトにフィルタリングするというわけにはいきません。そこまで規制する必要がない、という考えもあります。
そもそも、スマホは親の物です。子どもは働いていないわけですから、お金を持っていません。親がお金を出すことになりますから、当然、親の物であります。しかし、携帯電話やスマホを子どもに持たせたら、それはもう、子どもの物。「親の物である」という意識がありません。「子どもがどういうふうに利用しようが、子どもの自由」みたいなところになってしまっております。オーナーとしての親の意見が取り入れられて、子ども達にとって教育上良くない情報に、きちんとしたフィルタをかけることが常識的なことになってはいないのです。
これからどんどんスマホやインターネットの依存症の人が増え、歯止めがかからないのではないかと、私は危惧しております。これらの危険性をどう伝えて、そこからどう治療していくか、またどう対策していくか、非常に難しい問題を抱えているのであります。
アメリカや韓国、中国では、インターネット依存症を社会生活に与える脅威と認識して、国家的な対策を講じています。それに対して日本では、問題意識が低かったために、対処・予防が遅れており、未だ調査段階にとどまったままです。しかも、調査が、総務省であったり、厚生労働省であったり、文科省であったりと、統一的な調査も行なわれていないという実態です。
治療という点では、現在、国立病院機構でWHOアルコール関連問題研究・研修協力センターである久里浜医療センターに唯一、「ネット依存治療研究部門」があるだけです。ネット依存の子ども達に対して、どのように適切な指導をしたら依存が依存でなくなるのかというようなことを、きちんと診断したり治療したりする機関がまだまだないのです。ある意味で自由で野放しになっている世界なのです。
インターネット依存症という病気に、どう対応するか、もっと本気でいろんな機関が、派閥横断的に対策を講じていかなければならないでしょう。警察も文部科学省も厚生労働省も総務省も入り、子どものインターネット依存症にどう対応するか、きちんとした国の方針として打ち出していかなければなりません。
元来、人間、人間の心というのは、今も昔も、江戸時代も聖徳太子の時代も、そうそう変わるものではありません。悲しみや苦しみ、喜びなど、そういった喜怒哀楽の情を、人はいつの時代にも持ち続けているのです。スマホやパソコンにどれほど長けていても、それは人間的に成長したということではありません。このことだけは、押さえておかなければならないでしょう。
不登校になった子ども達の原因のどこかに、スマホやインターネットへの依存によるものがあるのかもしれません。学校で学ぶ知識や技術はスマホで学べるかもしれません。もしかしたら、学校で学ぶ必要がないという部分もあるかもしれません。
しかしながら、もっと、人と会話をして楽しむとか、悩みを告白してお互いに支え合うとか、そういう人間的なことに関しては、スマホで対応できるのでしょうか。学校に行って遊んだり、友達とケンカしたりするほうが、本当は子どもにとって良いのではないでしょうか。
野山を歩く方がもっと楽しいとか、釣りをする方がもっと楽しいとか、運動して汗をかく方がもっともっと面白いとか。かるたやコマ、百人一首、まりつきなど、日本の伝統的な遊びも色々あります。子ども達の遊びをそういう方向にもっていった方が、人間的な活動、人間的な心情が養われていくことに繋がるのではないでしょうか。
ゲームをするなら、自分で作らせたらよいのです。紙を切ったり、折ったり。木を切ったり、つないだり。一方的にゲームとして与えられるのではなく、身体を使い作業を通して、自分達で作るという楽しみを体感させたらよいのです。
私はかつて教師をしていましたけれども、それは全て教師の責任であると思っています。なぜ、学校をもっと楽しくしないのか、もっと楽しい遊びを教えないのか。子どもはどんどん変わっていくのになあと、歯がゆい想いでいっぱいなのであります。
4月28日には、教育庁の生徒指導推進室より、「スマートフォン等の利用に関する実態調査報告」がありました。1日のスマホ利用時間を見てみますと、実に、5時間以上という回答でした。これは明らかにネット依存症という傾向になります。
スマホを見ている時間が長くなればなるほど、当然、本来しなければならないものの時間が犠牲になっていきます。中学・高校でいうと、勉強時間や睡眠時間が失われることになります。そして、昼夜の逆転現象が起きるのであります。
「深夜までスマホを見ていたため、朝、起きたら身体がだるい。学校へ行けない」。そのような状況が起こっているのです。結果として、成績が下がる。睡眠障害が起こる。また、全く動かないので、体力が低下する。ずっと座ったり寝転がったりしているので、骨密度が低下して骨粗鬆症になる。あるいは、視力が低下する。食事もおろそかになり、栄養不足が起こる。精神的にも身体的にも、様々な問題を引き起こしています。
また、課金制のネットゲームや動画サイト、ネットショッピングの利用によって、どんどんお金を使ってしまうという問題もあります。スキルさえあれば、スマホやインターネットは誰でも利用することができます。あとは精神力というか、自分や自分の時間、そういったものをコントロールできるかどうか。自分でコントロールする力を持っていなければ、結局溺れてしまうのです。そういう現象が、今、起こっているように思えます。
さらに、少年非行との関わりの問題もあります。コミュニティサイトなどインターネットを利用した犯罪が、非常に多くなってきているのです。
先般、警察庁が、少年非行と児童虐待、性的搾取の状況をまとめた報告をいたしました。青少年保護育成条例違反などの犯罪に巻き込まれた18歳未満の少年達が、インターネットのツイッターなどのコミュニティサイトを利用して犯罪に及んだ件数は、昨年1年間で、2564件に上っています。そして、驚くことに、被害者の95%が少女だったのであります。
インターネットの情報には、そもそも、少年用とか大人用とかはありません。自由に見ようと思えば、誰だって見ることができ、必要とする情報にたどり着くことができます。教育的な措置として、子ども用のスマホに、単に、見てはいけないサイトにフィルタリングするというわけにはいきません。そこまで規制する必要がない、という考えもあります。
そもそも、スマホは親の物です。子どもは働いていないわけですから、お金を持っていません。親がお金を出すことになりますから、当然、親の物であります。しかし、携帯電話やスマホを子どもに持たせたら、それはもう、子どもの物。「親の物である」という意識がありません。「子どもがどういうふうに利用しようが、子どもの自由」みたいなところになってしまっております。オーナーとしての親の意見が取り入れられて、子ども達にとって教育上良くない情報に、きちんとしたフィルタをかけることが常識的なことになってはいないのです。
これからどんどんスマホやインターネットの依存症の人が増え、歯止めがかからないのではないかと、私は危惧しております。これらの危険性をどう伝えて、そこからどう治療していくか、またどう対策していくか、非常に難しい問題を抱えているのであります。
アメリカや韓国、中国では、インターネット依存症を社会生活に与える脅威と認識して、国家的な対策を講じています。それに対して日本では、問題意識が低かったために、対処・予防が遅れており、未だ調査段階にとどまったままです。しかも、調査が、総務省であったり、厚生労働省であったり、文科省であったりと、統一的な調査も行なわれていないという実態です。
治療という点では、現在、国立病院機構でWHOアルコール関連問題研究・研修協力センターである久里浜医療センターに唯一、「ネット依存治療研究部門」があるだけです。ネット依存の子ども達に対して、どのように適切な指導をしたら依存が依存でなくなるのかというようなことを、きちんと診断したり治療したりする機関がまだまだないのです。ある意味で自由で野放しになっている世界なのです。
インターネット依存症という病気に、どう対応するか、もっと本気でいろんな機関が、派閥横断的に対策を講じていかなければならないでしょう。警察も文部科学省も厚生労働省も総務省も入り、子どものインターネット依存症にどう対応するか、きちんとした国の方針として打ち出していかなければなりません。
元来、人間、人間の心というのは、今も昔も、江戸時代も聖徳太子の時代も、そうそう変わるものではありません。悲しみや苦しみ、喜びなど、そういった喜怒哀楽の情を、人はいつの時代にも持ち続けているのです。スマホやパソコンにどれほど長けていても、それは人間的に成長したということではありません。このことだけは、押さえておかなければならないでしょう。
不登校になった子ども達の原因のどこかに、スマホやインターネットへの依存によるものがあるのかもしれません。学校で学ぶ知識や技術はスマホで学べるかもしれません。もしかしたら、学校で学ぶ必要がないという部分もあるかもしれません。
しかしながら、もっと、人と会話をして楽しむとか、悩みを告白してお互いに支え合うとか、そういう人間的なことに関しては、スマホで対応できるのでしょうか。学校に行って遊んだり、友達とケンカしたりするほうが、本当は子どもにとって良いのではないでしょうか。
野山を歩く方がもっと楽しいとか、釣りをする方がもっと楽しいとか、運動して汗をかく方がもっともっと面白いとか。かるたやコマ、百人一首、まりつきなど、日本の伝統的な遊びも色々あります。子ども達の遊びをそういう方向にもっていった方が、人間的な活動、人間的な心情が養われていくことに繋がるのではないでしょうか。
ゲームをするなら、自分で作らせたらよいのです。紙を切ったり、折ったり。木を切ったり、つないだり。一方的にゲームとして与えられるのではなく、身体を使い作業を通して、自分達で作るという楽しみを体感させたらよいのです。
私はかつて教師をしていましたけれども、それは全て教師の責任であると思っています。なぜ、学校をもっと楽しくしないのか、もっと楽しい遊びを教えないのか。子どもはどんどん変わっていくのになあと、歯がゆい想いでいっぱいなのであります。
- |国政
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