2015年08月27日 夏の報告記(1) 8月15日護国神社にて 〜教育と教科書採択問題について〜
今年も大変暑い夏でした。そして、大変忙しい夏でしたけれども、様々な経験と見識を深め広めることができた有意義な夏でありました。
皇紀2675年は、終戦70周年の終戦記念日を迎える年であります。
護国神社では、毎年8月15日に英霊に対する慰霊祭と国家興隆の祈願祭が行われます。私は240万人の英霊に手を合わせ、不戦の誓いと平和国家日本建設の誓いを立て、我が国の国家興隆と天皇陛下の御聖寿をお祝いし、万歳三唱をさせていただきました。そして、教育と教科書採択問題についてお話をさせていただきました。
戦後70年間、教育現場では、歴史を学べば学ぶほど、日本が残酷なことをしたとか、日本が嫌いになるとか、祖先を軽蔑するとか、そういういわれなき教育がずっと行われてきました。それはとりもなおさず、子どもたちの心の栄養分である教科書が自虐史観に彩られているからであります。
感受性の強い小学生や中学生の時代、津々浦々の義務教育でそういう教育が行われたにもかかわらず、思想的には、50/50(フィフティー・フィフティー)といえるようなバランスのとれた感覚で日本の国家が運営されているということに、ある種の奇跡を私は感じております。それは、家庭を支えたご両親の教育や社会人を育てた企業教育がまっとうに行われていて、決して左に重心を移すことなく教えられてきたため、かろうじてバランスを保っているのかなと感じております。
まさにこの8月は、来年度の新しい中学校の歴史や公民の教科書を採択する月であります。
幸いなことに、東京都立中学校、横浜市立の全ての中学校、大阪市立の全ての中学校が、まっとうな教科書である育鵬社の歴史教科書や公民教科書を採択することが決まりました。まさに、混迷の中に一筋の明かりを見たようなものです。
教育によって国をきちんと正していくためには、やはり、子どもたちが学ぶ教科書がきちんと歴史の事実に基づき、真実の歴史が教えられなければならないとつくづく思います。しかし、その成果が見えるのは遠い先でありましょう。国家100年の計というように、長い時間を積み重ねて国家というものは再生できるのだと思います。
皇紀2675年は、終戦70周年の終戦記念日を迎える年であります。
護国神社では、毎年8月15日に英霊に対する慰霊祭と国家興隆の祈願祭が行われます。私は240万人の英霊に手を合わせ、不戦の誓いと平和国家日本建設の誓いを立て、我が国の国家興隆と天皇陛下の御聖寿をお祝いし、万歳三唱をさせていただきました。そして、教育と教科書採択問題についてお話をさせていただきました。
戦後70年間、教育現場では、歴史を学べば学ぶほど、日本が残酷なことをしたとか、日本が嫌いになるとか、祖先を軽蔑するとか、そういういわれなき教育がずっと行われてきました。それはとりもなおさず、子どもたちの心の栄養分である教科書が自虐史観に彩られているからであります。
感受性の強い小学生や中学生の時代、津々浦々の義務教育でそういう教育が行われたにもかかわらず、思想的には、50/50(フィフティー・フィフティー)といえるようなバランスのとれた感覚で日本の国家が運営されているということに、ある種の奇跡を私は感じております。それは、家庭を支えたご両親の教育や社会人を育てた企業教育がまっとうに行われていて、決して左に重心を移すことなく教えられてきたため、かろうじてバランスを保っているのかなと感じております。
まさにこの8月は、来年度の新しい中学校の歴史や公民の教科書を採択する月であります。
幸いなことに、東京都立中学校、横浜市立の全ての中学校、大阪市立の全ての中学校が、まっとうな教科書である育鵬社の歴史教科書や公民教科書を採択することが決まりました。まさに、混迷の中に一筋の明かりを見たようなものです。
教育によって国をきちんと正していくためには、やはり、子どもたちが学ぶ教科書がきちんと歴史の事実に基づき、真実の歴史が教えられなければならないとつくづく思います。しかし、その成果が見えるのは遠い先でありましょう。国家100年の計というように、長い時間を積み重ねて国家というものは再生できるのだと思います。
- |徒然
岡山県の活性化のために一人でも多くの方とふれあい、たくさんのご意見をお聞きしたいと思います。