熱血先生はたようじ 波多洋治 BLOG

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2019年11月09日 11月9日(土)天皇陛下御即位国民祭典参列

天皇陛下のご即位を祝う、国民祭典が皇居前広場にて催されました。
午後1時から始まった奉祝祭りでは、岩手奥州の江刺百鹿大群舞(えさしひゃっかだいぐんぶ)や盛岡さんさ祭り、秋田の竿燈(かんとう)まつり、新潟のしばた台輪、沖縄エイサーなど、18団体による全国各地の祭りが奉納されました。演舞する方々の懸命さや迫力がひしひしと伝わり、涙がこぼれるほどの感動を覚えました。
 
続いて16時からは、俳優の谷原章介さんと、アナウンサーの有働由美子さんの司会で祝賀式典が始まりました。
各界を代表する著名人からのお祝いのメッセージが届けられました。最初に登場したのは芦田茉奈ちゃん。美しい和装で、心に響くメッセージを堂々と読み上げる姿は“茉奈ちゃん”というより“茉奈さん”がふさわしい趣きでした。 安部晋三内閣総理大臣、三浦明夫経団連会長の祝辞のあと、菅野よう子氏作曲の奉祝曲「Ray of Water」を、辻井伸行氏のピアノ演奏で、嵐が熱唱。3万数千人の参列者による国家「君が代」も響き渡りました。
 
天皇陛下からの「被災者のみなさんの復旧・復興、国民の平和と安寧、国家の永遠の発展をお祈り申し上げます」との祈りの言葉を賜ったあと、実行委員長、伊吹文明衆議院議員の万歳三唱と続きました。集まった人々はみな一様に、右手に日の丸、左手に提灯をもち、万歳、万歳、万歳と声を張り上げ、両陛下のお姿が見えなくなったあともなお、途切れることなく続いていました。
ふと振り返ると、式典にふさわしい優美な月が輝いていました。
 

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2019年11月08日 11月8日(金)東京。教え子たちと会食

11月9日(土)に開催される、天皇陛下御即位国民祭典参列のため東京へ。
 
この日は、東京在住の教え子、奥村君と山崎さんの3人で懐かしい思い出話を肴に一献かたむけました。
 
彼らを担任したのは実に48年前。彼らがまだ宇野小学校3年、4年生の時でした。
奥村君は、小学3年生の春に転校してきた生徒で、5年生で再び広島へ転校。わずか2年間だけの出会いでしたが、そこから今日に至るまでずっと、先生と生徒の師弟関係のお付き合いが続いています。彼の結婚式が、東京の『椿山荘』で執り行われた際には仲人まで務めまた間柄です。当時の奥村君は、“おっくん”と慕われるクラスのリーダー的な存在で、勤務先の『伊勢丹』でも、人懐こさとリーダーシップを存分に発揮しているものと思います。
 
一方、山崎さんはというと、典型的な運動オンチのしっかりもののべっぴんさん。
当時の“はた学級”では、朝はマラソン、昼はたて笛、夜は学習というスタイルを徹底していたのですが、たて笛でも学習でもすばらしい能力を発揮していた彼女が、朝のマラソンに関してだけは、よく愚痴を漏らしていたものです。
 
そんな彼らがいたクラスで、当時取り組んでいたのが「心のノート」です。
“Aノート”と“Bノート”と名付けた2冊のノートを、毎日交互に生徒と交換する、いわゆる“交換日記”のようなもの。遠足や運動会など、特別な日ではなく、日常の暮らしを日記にすることは思った以上に大変なことです。それでも、毎日日記を書くことで、“文章を書く目“が培われていき、慣れれば自然と、日常の中にも新しい発見があることに気付けるようになるものです。
彼らの日記と、赤ペンで書かれた私からの日々のコメントで埋まった“ABノート”は、多い子で、2年間で200冊も積み重なりました。
 
子ども時代に“いかに夢や希望を持たせてやれるか”が、教師の使命だと信じています。
同じクラスで過ごす時間はわずか1年か2年。長い人生においては、振り子がふれるほんの一瞬の時でしかありません。そこでの出会いが竹馬の友として一生続いていく、そんな素晴らしい時間をいかに創造できるかが、教師の使命であり、喜びだと思っています。
 

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2018年01月04日 高校教時代の仲間と前夜祭

この日から「全国高等学校ももたろう杯空手道錬成大会」がはじまり、北は北海道から南は沖縄まで全国各地よりかつての高校教師時代の仲間が岡山に集結し、前夜祭で一献傾けました。こちらも毎年楽しみにしている正月恒例行事となっています。

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はたようじ 波多洋治

はたようじ 波多洋治

自由民主党公認岡山県会議員

昭和18年9月14日 島根県隠岐島生れ

住所/岡山県岡山市北区白石65-3

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