2015年08月27日 夏の報告記(2) お盆は、空手道部OB会、いとこ会、教え子の同窓会でした!
お盆は、空手道部OB会、いとこ会、同窓会などもあり、充実した日々でありました。
8月7日〜9日まで玉野スポーツセンターで、岡山工業高校と我が至誠館の合同合宿があり、3日間みっちりと空手の指導にあたりました。また、8月19日からは岡大空手道部の合宿で、白石島に指導に行ってまいりました。
8月15日、岡山大学空手道部OB会 旭空会では、今年還暦になった皆さんの祝賀会がありました。不肖、私は、岡山大学空手道部の師範であります。
長い人生の中、岡山大学空手道部で汗を流し辛酸を舐め耐え抜いたという経験が、人生のバックボーンとしてあったことは間違いありません。還暦を迎えるにあたり、仕事に一途に専念してきた皆さんに、これから第一線を離れることがあれば、ぜひ後輩達の育成指導にかかわって岡山大学空手道部を応援してほしいというお話をさせていただきました。
それは何故かというと、今年新入部員が0人でした。後継者のいない社会は衰退するだけであります。新入部員を獲得し後継者を育てるということに、何とかOBの力を結集して力を注ぐべきであるからです。空手の技術もさることながら、その向こうにある人間力をいかに鍛えるか、後に続く者にそれをいかに継承していくか、OBの皆さんはぜひ考えてほしいというお願いもしました。
二次会では、ひと時、カラオケに興じました。二次会に行ったのは私が最年長です。私は14期ですから、もちろん先輩もおられますけれども、だんだん足が遠のくことになったのか、70歳以上は私1人しかいませんでした。
それから、野々口の夏祭りに車を飛ばして行きました。地域コミュニティで開かれている恒例の夏祭りで、ここでは、私は挨拶をさせていただきました。今年は、舞台設営が新しくなっており、初めての夏祭りということで賑わっておりました。今までは、広場が非常に不自由不便な造りだったのですが、岡山市の事業によって、大変フラットで広い広場が整備ができておりました。
また、8月15日は毎年恒例のいとこ会がある日です。いとこ達が集まって、一杯呑んで食事した後、麻雀会をします。夜の8時くらいから朝の8時くらいまで、日々の忙しさを忘れて楽しく遊びました。
8月16日には、芳田小学校の教え子達と38年ぶりの同窓会がありました。40人の生徒のうち15人集まり、よく集まってくれたと嬉しく思いました。
1人の教え子が一冊のアルバムを持ってきておりまして、それを皆で懐かしく見ました。それは、大変思い出深いアルバムであります。
当時、私は34歳で、クラスを5年・6年と担任し、「はたご学級」と名づけておりました。「はたの子ども」という思いがあったのですが、人生は旅ということで、「旅籠(はたご)」にもちなんで名づけました。
この間、40人の子ども達の姿を追い求め、何千枚という写真を撮りました。それを、個人アルバムにして欲しいという要望がありました。私は反対もしたのですけれども、学級懇談会にかけ、毎月千円ずつ積立をし、ついにアルバムができたのであります。
委員さんは、何千枚もある写真の中から子ども達のために写真を選び焼き増しをし、大変な苦労をして、子ども達のために一冊ずつ編集して手作りしました。クリスマス会や学習発表会など全員写っているものと、家庭訪問や毎日の様子など、その子が中心に写っている写真もそれぞれ載せました。
バカチョンカメラもない時代で、モノクロ写真もたくさんあり、それらはセピア色になっておりました。なんと楽しい毎日であったなあと、今でも思い出されます。
教え子達のほとんどは、親となり、ある程度子育てを終えた世代です。彼ら彼女らの子ども達は、ほとんどが20歳を過ぎ成人しています。アルバムを見ていると、どうしても昔と今との教育の乖離というか、隔たっているという話になりました。モンスターペアレントの話が出て、「あれは先生どういうことですか」など話題にのぼりました。
学校に文句を言うなどけしからん。おまえらのような出来の悪いのを、先生がどれだけ苦労して教えてきたか。算数のわからない子に算数を教え、字の読めない子に字を教え、泳ぎのできない子に泳ぎを教え、体育の嫌いな子を好きにさせて。 学校があったから、今のおまえ達があるんでしょう。親から言ったら感謝の二文字しかないでしょう、と私は話しました。
8月7日〜9日まで玉野スポーツセンターで、岡山工業高校と我が至誠館の合同合宿があり、3日間みっちりと空手の指導にあたりました。また、8月19日からは岡大空手道部の合宿で、白石島に指導に行ってまいりました。
8月15日、岡山大学空手道部OB会 旭空会では、今年還暦になった皆さんの祝賀会がありました。不肖、私は、岡山大学空手道部の師範であります。
長い人生の中、岡山大学空手道部で汗を流し辛酸を舐め耐え抜いたという経験が、人生のバックボーンとしてあったことは間違いありません。還暦を迎えるにあたり、仕事に一途に専念してきた皆さんに、これから第一線を離れることがあれば、ぜひ後輩達の育成指導にかかわって岡山大学空手道部を応援してほしいというお話をさせていただきました。
それは何故かというと、今年新入部員が0人でした。後継者のいない社会は衰退するだけであります。新入部員を獲得し後継者を育てるということに、何とかOBの力を結集して力を注ぐべきであるからです。空手の技術もさることながら、その向こうにある人間力をいかに鍛えるか、後に続く者にそれをいかに継承していくか、OBの皆さんはぜひ考えてほしいというお願いもしました。
二次会では、ひと時、カラオケに興じました。二次会に行ったのは私が最年長です。私は14期ですから、もちろん先輩もおられますけれども、だんだん足が遠のくことになったのか、70歳以上は私1人しかいませんでした。
それから、野々口の夏祭りに車を飛ばして行きました。地域コミュニティで開かれている恒例の夏祭りで、ここでは、私は挨拶をさせていただきました。今年は、舞台設営が新しくなっており、初めての夏祭りということで賑わっておりました。今までは、広場が非常に不自由不便な造りだったのですが、岡山市の事業によって、大変フラットで広い広場が整備ができておりました。
また、8月15日は毎年恒例のいとこ会がある日です。いとこ達が集まって、一杯呑んで食事した後、麻雀会をします。夜の8時くらいから朝の8時くらいまで、日々の忙しさを忘れて楽しく遊びました。
8月16日には、芳田小学校の教え子達と38年ぶりの同窓会がありました。40人の生徒のうち15人集まり、よく集まってくれたと嬉しく思いました。
1人の教え子が一冊のアルバムを持ってきておりまして、それを皆で懐かしく見ました。それは、大変思い出深いアルバムであります。
当時、私は34歳で、クラスを5年・6年と担任し、「はたご学級」と名づけておりました。「はたの子ども」という思いがあったのですが、人生は旅ということで、「旅籠(はたご)」にもちなんで名づけました。
この間、40人の子ども達の姿を追い求め、何千枚という写真を撮りました。それを、個人アルバムにして欲しいという要望がありました。私は反対もしたのですけれども、学級懇談会にかけ、毎月千円ずつ積立をし、ついにアルバムができたのであります。
委員さんは、何千枚もある写真の中から子ども達のために写真を選び焼き増しをし、大変な苦労をして、子ども達のために一冊ずつ編集して手作りしました。クリスマス会や学習発表会など全員写っているものと、家庭訪問や毎日の様子など、その子が中心に写っている写真もそれぞれ載せました。
バカチョンカメラもない時代で、モノクロ写真もたくさんあり、それらはセピア色になっておりました。なんと楽しい毎日であったなあと、今でも思い出されます。
教え子達のほとんどは、親となり、ある程度子育てを終えた世代です。彼ら彼女らの子ども達は、ほとんどが20歳を過ぎ成人しています。アルバムを見ていると、どうしても昔と今との教育の乖離というか、隔たっているという話になりました。モンスターペアレントの話が出て、「あれは先生どういうことですか」など話題にのぼりました。
学校に文句を言うなどけしからん。おまえらのような出来の悪いのを、先生がどれだけ苦労して教えてきたか。算数のわからない子に算数を教え、字の読めない子に字を教え、泳ぎのできない子に泳ぎを教え、体育の嫌いな子を好きにさせて。 学校があったから、今のおまえ達があるんでしょう。親から言ったら感謝の二文字しかないでしょう、と私は話しました。
- |徒然
岡山県の活性化のために一人でも多くの方とふれあい、たくさんのご意見をお聞きしたいと思います。