2015年08月26日 佐渡ヶ島、長岡市に総務委員会視察に行ってまいりました!
8月の3日〜6日、新潟は佐渡ヶ島から長岡市に総務委員会視察で行ってまいりました。
佐渡ヶ島は、今から11年前に1市7町2村が合併して、佐渡ヶ島全体で佐渡市になりました。1市というのは旧両津市のことで、今は、佐渡市両津となっています。
今回、私達は両津にある旅館に宿泊しました。紹介してもらった飲み屋さんに行って女将さんにお話を聞きますと、「合併したけれども、佐渡市全体で参加するようなイベントもないし、本来市の中心部にあるべき市役所が島の中心部に移転したものだから、この街は衰退してきました」ということでした。これは大変残念に思います。
現在、佐渡市は佐渡金銀山を世界遺産登録するといって運動していますね。両津は東の街、佐渡金銀山は西の街なんですけれども、そのためか、両津の港の皆さんはあまり関心もないような、よその出来事のように感じているように思われます。私は、何か佐渡市としての一体感が取れてないということを感じました。
その後、佐渡市議会を訪れた際、佐渡の地域活性課の課長より佐渡市の活性化策について話をうかがいました。
佐渡市では、地域活性化のため8人のコーディネーターを採用したそうです。その8人は、佐渡市を8つの地域ブロックに分けて1人ずつ配置され、その地域活性化のために、どういう行事をどういうふうに応援していくかと取り組んでおられます。
具体的な地域活性化策をお聞きしますと、そのほとんどが農業を中心とした策でした。佐渡というのは、周りが海でしょう。海の資源を活かした活性化策がただの一つもなかったのです。私はそれを大変残念に思いました。そこで、海の無限の宝庫を地域活性化に活用するようなアイディアがどこにもないのは、いったいどういうことですかとお聞きしました。
私は、隠岐の島の海士町出身です。海士町は、地域活性化策では全国的に有名な町です。海士町のテーマは、海にある無限の宝庫をどう活用するかであり、Iターンの若者にとっては、海にある無限の宝庫をどう活用しどう起業するかが使命です。そういった地域活性化策が全く見られなかったというのは大変残念でした。
課長さんは、「言われてみたらそうですね」といようにおっしゃいました。私の提言が、何か新しい起爆剤になればいいなあと思う次第であります。
その後、バスに乗って、夫婦岩があるというドライブインで昼食にしました。そこのご主人やバスのガイドさんが由来を話してくれるのですが、私は、そこへ行って、日本一の夫婦岩にはならないなあと気がつきました。なぜかというと伊勢市に夫婦岩があるからです。
佐渡の夫婦岩は、海岸よりに小さな岩が2つつながっており、おじいさん岩、おばあさん岩と呼ばれています。また、「夫婦の奥さんのほうの岩の海側に、小さな岩が3つつながっていて、孫もいますよ」というお話をうかがいました。
「それならば、夫婦岩でなく家族岩ですね。名前を家族岩と変えたほうがいいんじゃないでしょうか」と、私は提言をいたしました。「家族崩壊といわれて久しい今の時代、佐渡には日本海の荒波に耐えながら家族が寄り添って、元気に頑張っている姿を見せてくれる家族岩があります、とお伝えすればいいのではないですか」とそういう話をしました。
ドライブインのご主人からも、「そう言われたらそうですね」という感想があり、佐渡ヶ島で2つ提言をしました。
それから長岡市に入り、山古志村に行きました。中越地震のあった時に山古志村は大変な地震災害を受けました。山が崩れ、道路が寸断され、ついに孤立状態になって全村避難をした村です。現在は、長岡市と合併して長岡市山古志となっています。
地震の時、村の人達は中学校の体育館にヘリコプターで非難をしました。厳しい中、村の人達は全員が手をつないで励まし合って逆境に耐えるということをしてきました。
長い人で2年半くらいの避難生活を過ごし、仮設住宅の生活が続きます。隣同士向かい合って仮設住宅にするとか、必ず集会所を作ってみんなが集まるとか、そういうことをやって仮設住宅の苦しい生活を乗り越えていかれました。
今でも災害の状況を残しているセンターがあり、その時の状況を写した写真や、その時語られた言葉が書かれた幕を見ることができます。その言葉を読んでいて、私ははっと気がついたのです。
「絆」は、何のためにあるのか。それは、「守る」ためにあるのです。
例えば、ふるさとを守る、家族を守る。
絆の向こうに何があるかといえば、それは守るため。
絆や助けあうことがなぜ必要かというと、それは守るため。
守るということに、自分達が手をつないで、絆を太くして助けあってということができる。「守る」ということがあるからこそ、強く生きられる。負けていられない、我慢しなくちゃいけない、そいういうことができたのだろうとつくづく思いました。
「絆」以上に「守る」という言葉に触れた時、私は心が震え、涙がこみ上げてくる感じがしました。
佐渡ヶ島は、今から11年前に1市7町2村が合併して、佐渡ヶ島全体で佐渡市になりました。1市というのは旧両津市のことで、今は、佐渡市両津となっています。
今回、私達は両津にある旅館に宿泊しました。紹介してもらった飲み屋さんに行って女将さんにお話を聞きますと、「合併したけれども、佐渡市全体で参加するようなイベントもないし、本来市の中心部にあるべき市役所が島の中心部に移転したものだから、この街は衰退してきました」ということでした。これは大変残念に思います。
現在、佐渡市は佐渡金銀山を世界遺産登録するといって運動していますね。両津は東の街、佐渡金銀山は西の街なんですけれども、そのためか、両津の港の皆さんはあまり関心もないような、よその出来事のように感じているように思われます。私は、何か佐渡市としての一体感が取れてないということを感じました。
その後、佐渡市議会を訪れた際、佐渡の地域活性課の課長より佐渡市の活性化策について話をうかがいました。
佐渡市では、地域活性化のため8人のコーディネーターを採用したそうです。その8人は、佐渡市を8つの地域ブロックに分けて1人ずつ配置され、その地域活性化のために、どういう行事をどういうふうに応援していくかと取り組んでおられます。
具体的な地域活性化策をお聞きしますと、そのほとんどが農業を中心とした策でした。佐渡というのは、周りが海でしょう。海の資源を活かした活性化策がただの一つもなかったのです。私はそれを大変残念に思いました。そこで、海の無限の宝庫を地域活性化に活用するようなアイディアがどこにもないのは、いったいどういうことですかとお聞きしました。
私は、隠岐の島の海士町出身です。海士町は、地域活性化策では全国的に有名な町です。海士町のテーマは、海にある無限の宝庫をどう活用するかであり、Iターンの若者にとっては、海にある無限の宝庫をどう活用しどう起業するかが使命です。そういった地域活性化策が全く見られなかったというのは大変残念でした。
課長さんは、「言われてみたらそうですね」といようにおっしゃいました。私の提言が、何か新しい起爆剤になればいいなあと思う次第であります。
その後、バスに乗って、夫婦岩があるというドライブインで昼食にしました。そこのご主人やバスのガイドさんが由来を話してくれるのですが、私は、そこへ行って、日本一の夫婦岩にはならないなあと気がつきました。なぜかというと伊勢市に夫婦岩があるからです。
佐渡の夫婦岩は、海岸よりに小さな岩が2つつながっており、おじいさん岩、おばあさん岩と呼ばれています。また、「夫婦の奥さんのほうの岩の海側に、小さな岩が3つつながっていて、孫もいますよ」というお話をうかがいました。
「それならば、夫婦岩でなく家族岩ですね。名前を家族岩と変えたほうがいいんじゃないでしょうか」と、私は提言をいたしました。「家族崩壊といわれて久しい今の時代、佐渡には日本海の荒波に耐えながら家族が寄り添って、元気に頑張っている姿を見せてくれる家族岩があります、とお伝えすればいいのではないですか」とそういう話をしました。
ドライブインのご主人からも、「そう言われたらそうですね」という感想があり、佐渡ヶ島で2つ提言をしました。
それから長岡市に入り、山古志村に行きました。中越地震のあった時に山古志村は大変な地震災害を受けました。山が崩れ、道路が寸断され、ついに孤立状態になって全村避難をした村です。現在は、長岡市と合併して長岡市山古志となっています。
地震の時、村の人達は中学校の体育館にヘリコプターで非難をしました。厳しい中、村の人達は全員が手をつないで励まし合って逆境に耐えるということをしてきました。
長い人で2年半くらいの避難生活を過ごし、仮設住宅の生活が続きます。隣同士向かい合って仮設住宅にするとか、必ず集会所を作ってみんなが集まるとか、そういうことをやって仮設住宅の苦しい生活を乗り越えていかれました。
今でも災害の状況を残しているセンターがあり、その時の状況を写した写真や、その時語られた言葉が書かれた幕を見ることができます。その言葉を読んでいて、私ははっと気がついたのです。
「絆」は、何のためにあるのか。それは、「守る」ためにあるのです。
例えば、ふるさとを守る、家族を守る。
絆の向こうに何があるかといえば、それは守るため。
絆や助けあうことがなぜ必要かというと、それは守るため。
守るということに、自分達が手をつないで、絆を太くして助けあってということができる。「守る」ということがあるからこそ、強く生きられる。負けていられない、我慢しなくちゃいけない、そいういうことができたのだろうとつくづく思いました。
「絆」以上に「守る」という言葉に触れた時、私は心が震え、涙がこみ上げてくる感じがしました。
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