2016年02月01日 若者達よ、近現代史に焦点を当てた世界史を学んでください!
プライベートな話ですが、正月三が日は、鹿田小学校や芳田小学校、岡工の教え子たちとの新年会ならぬ同窓会をしています。そのため、この50年間、私は岡山を離れることはありませんでした。しかし、今年のお正月は、私達夫婦と長男夫婦と孫が3人、次男夫婦と孫が3人、長男の嫁の両親と兄弟、あわせて15人でハワイ旅行を楽しんできました。
ホノルルに向かう途中、日付変更線をまたぎますね。時差の違いには、全くもって驚かされます。出発は12月29日の夕刻でしたが、ホノルルについたのは同じ日の12月29日の朝でした。飛行機の中で寝て起きたら時間が逆戻りしていますから、孫達も、「どうして29日なの?」と、その不思議さに驚いていました。ハワイでは、大晦日のカウントダウンやそれに続く花火の共演など、大変感動しました。子ども達にとっては喜ぶことばかりだったと思いますけれども、私はそうとばかりでは言っておれませんでした。
観光バスに乗りましたら、ガイドさんがリメンバーパールハーバーの話をされます。「戦艦アリゾナがいまだに真珠湾に沈められたままです。そこには1‚177名の遺骨がそのまま残されています。日本の卑怯な宣戦布告なき騙し討ちにあって、いまだに我々はリメンバーパールハーバーとして、これを忘れるわけにはいきません」というような内容でした。
私は、思わずガイドさんのマイクを持って、この大東亜戦争開戦の経緯などをお話ししました。日本は、きちんと宣戦布告をしていたのです。その当時、日本の暗号伝聞は既にアメリカに解読されていました。大使館には野村大使が駐在していましたけれども、館外に連れ出されて宴会の途中でありました。ですから、日本の宣戦布告の伝聞を受理するのが遅れただけであり、きちんと日本は宣戦布告をしているのです。
アメリカは、昭和20年8月6日に広島、8月9日に長崎に原爆を落としました。無垢の民を10万人、20万人と殺戮したことは、まことに非人道的、無差別の殺戮であって、許すわけにはいきません。私の目が黒いうちに、必ずこの件に関してアメリカに謝罪させます。でなければ、私は死のうにも死にきれません。
息子二人は、「親父、よく言った」と感心してくれました。歴史の真実を知りますと、ものの見方や考え方が変わってくるものです。すぐそこに見える海底に戦艦アリゾナは沈められたままです。すぐにもサルベージできるでしょうし、きちんと収拾し埋葬するなどということは、やろうと思えばできることでしょう。それをせずにそのままにして日本人観光客に見せつけるというのは、戦死者に対する慰霊をこえた日本人に対する見せしめのような感じがして腹立たしい思いがいたしました。
明治のはじめ、ハワイのカメハメハ大王が日本を訪れ、ハワイを日本の一部にしてくださいと懇請されたことがあります。ハワイの人、つまりポリネシア人は、白人がアメリカの地に入り西へ西へと開拓をする間、多くのインディアンたちが虐殺されたことを知っていました。いずれ自分たちも白人たちに虐殺されるのではないかと恐れていたのです。
オーストラリアの原住民であるアボリジニは迫害され、タスマニア島のタスマニア人は全滅することになりました。現在、ハワイの地でポリネシア人たちが生きることはとても難しく、彼ら民族の伝統的芸能を観光のショーにするなどして生活を維持するのがやっとです。また、エスキモーのイヌイット族は世界で一番自殺率の高い地域となっています。なぜなら、彼ら民族が持っている生きがいというものを奪われてしまったからに他なりません。そのような白人の歴史を、我々カラードと呼ばれる黄色人種の日本人は知るべきです。
世界史といいますけれども、実のところはヨーロッパ史なのであります。新大陸といいますけれども、そこにはもとから大陸は存在していたのです。中近東という言葉は、ヨーロッパを中心としたときの、東の国という意味です。極東という言葉も、ユーラシア大陸の東の果てという意味で、世界地図の中心にヨーロッパを置いて初めて理解できる言葉です。次の時代を背負う若者達が、近現代史に焦点を当てた世界史を学ぶことは、世界を見る上でどうしても必要なことではないかと思います。それぞれの民族が共生し共栄していくためにも、きちんと歴史は学んでいかなければならないでしょう。
ホノルルに向かう途中、日付変更線をまたぎますね。時差の違いには、全くもって驚かされます。出発は12月29日の夕刻でしたが、ホノルルについたのは同じ日の12月29日の朝でした。飛行機の中で寝て起きたら時間が逆戻りしていますから、孫達も、「どうして29日なの?」と、その不思議さに驚いていました。ハワイでは、大晦日のカウントダウンやそれに続く花火の共演など、大変感動しました。子ども達にとっては喜ぶことばかりだったと思いますけれども、私はそうとばかりでは言っておれませんでした。
観光バスに乗りましたら、ガイドさんがリメンバーパールハーバーの話をされます。「戦艦アリゾナがいまだに真珠湾に沈められたままです。そこには1‚177名の遺骨がそのまま残されています。日本の卑怯な宣戦布告なき騙し討ちにあって、いまだに我々はリメンバーパールハーバーとして、これを忘れるわけにはいきません」というような内容でした。
私は、思わずガイドさんのマイクを持って、この大東亜戦争開戦の経緯などをお話ししました。日本は、きちんと宣戦布告をしていたのです。その当時、日本の暗号伝聞は既にアメリカに解読されていました。大使館には野村大使が駐在していましたけれども、館外に連れ出されて宴会の途中でありました。ですから、日本の宣戦布告の伝聞を受理するのが遅れただけであり、きちんと日本は宣戦布告をしているのです。
アメリカは、昭和20年8月6日に広島、8月9日に長崎に原爆を落としました。無垢の民を10万人、20万人と殺戮したことは、まことに非人道的、無差別の殺戮であって、許すわけにはいきません。私の目が黒いうちに、必ずこの件に関してアメリカに謝罪させます。でなければ、私は死のうにも死にきれません。
息子二人は、「親父、よく言った」と感心してくれました。歴史の真実を知りますと、ものの見方や考え方が変わってくるものです。すぐそこに見える海底に戦艦アリゾナは沈められたままです。すぐにもサルベージできるでしょうし、きちんと収拾し埋葬するなどということは、やろうと思えばできることでしょう。それをせずにそのままにして日本人観光客に見せつけるというのは、戦死者に対する慰霊をこえた日本人に対する見せしめのような感じがして腹立たしい思いがいたしました。
明治のはじめ、ハワイのカメハメハ大王が日本を訪れ、ハワイを日本の一部にしてくださいと懇請されたことがあります。ハワイの人、つまりポリネシア人は、白人がアメリカの地に入り西へ西へと開拓をする間、多くのインディアンたちが虐殺されたことを知っていました。いずれ自分たちも白人たちに虐殺されるのではないかと恐れていたのです。
オーストラリアの原住民であるアボリジニは迫害され、タスマニア島のタスマニア人は全滅することになりました。現在、ハワイの地でポリネシア人たちが生きることはとても難しく、彼ら民族の伝統的芸能を観光のショーにするなどして生活を維持するのがやっとです。また、エスキモーのイヌイット族は世界で一番自殺率の高い地域となっています。なぜなら、彼ら民族が持っている生きがいというものを奪われてしまったからに他なりません。そのような白人の歴史を、我々カラードと呼ばれる黄色人種の日本人は知るべきです。
世界史といいますけれども、実のところはヨーロッパ史なのであります。新大陸といいますけれども、そこにはもとから大陸は存在していたのです。中近東という言葉は、ヨーロッパを中心としたときの、東の国という意味です。極東という言葉も、ユーラシア大陸の東の果てという意味で、世界地図の中心にヨーロッパを置いて初めて理解できる言葉です。次の時代を背負う若者達が、近現代史に焦点を当てた世界史を学ぶことは、世界を見る上でどうしても必要なことではないかと思います。それぞれの民族が共生し共栄していくためにも、きちんと歴史は学んでいかなければならないでしょう。
- |徒然
岡山県の活性化のために一人でも多くの方とふれあい、たくさんのご意見をお聞きしたいと思います。