2016年08月18日 岡山大学空手道部OB会の仲間達と、ベトナム旅行に行ってきました
酷暑のみぎりと言うべきところですが、暦の上では立秋は8月7日でした。残暑のお見舞いを申し上げます、と言うべきでしょうか。
7月27日から4泊6日、岡山大学空手道部OB会の仲間達7人と、ベトナム旅行に行ってまいりました。ベトナムに詳しい私の友人も同行し案内してくれたので総勢8名になり、楽しい旅でした。学生時代には合宿をしたり、大会参加のための旅行をしたりしていましたけれども、卒業をしてしまうとOBが共に旅をすることがなかなかありません。15年ほど前、OB会で内モンゴルの旅に行って以来、2回目となる旅でした。実は、天皇陛下御巡幸の後のパラオに行きたいという思いがありました。しかし、調べてみると経費も高いため、年金暮らしのOB達には厳しいかと、手頃なベトナムを選びました。
ベトナムには歴史的遺産もあり、先のベトナム戦争の記録もあり、見るところがたくさんあります。大変楽しく、有意義な旅でありました。概ね旅の予定は順調に消化することができましたが、2日目に予定していた世界遺産ハロン湾のクルーズが台風接近のため中止になり、非常に残念でした。
ハノイでは、ホー・チ・ミン廟にお参りしました。広大な用地に凛としたコンクリートの建物があり、常にベトナム国軍が警護しています。衛兵の交代式を運良く見ることができましたが、若者の衛兵達の微動だにしない姿は特に感動を呼ぶものです。ベトナムの一般の住宅は、大変狭いところにひしめき合い、3階建て4階建てと、小さな間取りできゅうきゅうと生活しているような感じですが、それに比べホー・チ・ミン廟のある広場は雄大そのものでした。
3日目の午後からは、かつてサイゴンと呼ばれていた街、ホーチミンに入りました。この街は、人口900万の大都市であります。今なおサイゴンと呼ばれていて、ホーチミンの名前が次第に薄れております。台風接近の折には、街中が冠水するという状況でありまして、今回は、街路樹が何本も倒壊し、死者も出たように聞いています。ハノイといいホーチミンといい、低湿地帯に作られた街で、水と風に弱い街なのかなあと感じました。
さて、ホーチミンでは、ベトナム戦争の時に採掘された全長250kmに及ぶ地下トンネルを視察しました。入ってみると天井が大変低く、頭も上げられません。ふうふう言いながら25mほど歩いてみましたが、「もう勘弁してください、これ以上はとても無理です」というような状況で、みなギブアップしました。当時、ベトコンがこの地下トンネルを縦横無尽に走っていたのかと、こんな道が何キロにも及ぶかと思いますと、ゾッとします。
地下トンネルの中には、アメリカ軍の攻撃から逃れるために、地上からの空気抜きや取水口等の工夫がいたるところにありました。また、あらゆる方法でアメリカ軍を殺害する、あるいは、戦闘能力を失わせるための落とし穴などもありました。大変残酷な気もしましたけれども、独立を勝ち取るために必死の戦いの中で生まれた彼らの戦法を、誰も責めることはできないと思います。
このベトナム戦争は、ベトナム対アメリカの戦争のように思われています。共産主義の中国やソ連が背後から北ベトナムを支援し、自由主義の国アメリカが南ベトナムを支援しましたので、代理戦争ともいわれています。しかしながら、それは一面的な見方だと思います。ベトナム戦争は、北ベトナムと南ベトナムの国内戦争であったことは明らかであり、まぎれもない事実であります。
今、ベトナムは社会主義国です。国土はすべて国のものであり、一党独裁の共産党政権が支配していることは変わりありません。しかし、一般市民達は、自由主義経済を謳歌し活力にあふれ、経済的にも大変な発展をしている様子が分かります。あと10年もすれば、さらに様々なインフラの整備が行われ、発展した国になることでしょう。
7月27日から4泊6日、岡山大学空手道部OB会の仲間達7人と、ベトナム旅行に行ってまいりました。ベトナムに詳しい私の友人も同行し案内してくれたので総勢8名になり、楽しい旅でした。学生時代には合宿をしたり、大会参加のための旅行をしたりしていましたけれども、卒業をしてしまうとOBが共に旅をすることがなかなかありません。15年ほど前、OB会で内モンゴルの旅に行って以来、2回目となる旅でした。実は、天皇陛下御巡幸の後のパラオに行きたいという思いがありました。しかし、調べてみると経費も高いため、年金暮らしのOB達には厳しいかと、手頃なベトナムを選びました。
ベトナムには歴史的遺産もあり、先のベトナム戦争の記録もあり、見るところがたくさんあります。大変楽しく、有意義な旅でありました。概ね旅の予定は順調に消化することができましたが、2日目に予定していた世界遺産ハロン湾のクルーズが台風接近のため中止になり、非常に残念でした。
ハノイでは、ホー・チ・ミン廟にお参りしました。広大な用地に凛としたコンクリートの建物があり、常にベトナム国軍が警護しています。衛兵の交代式を運良く見ることができましたが、若者の衛兵達の微動だにしない姿は特に感動を呼ぶものです。ベトナムの一般の住宅は、大変狭いところにひしめき合い、3階建て4階建てと、小さな間取りできゅうきゅうと生活しているような感じですが、それに比べホー・チ・ミン廟のある広場は雄大そのものでした。
3日目の午後からは、かつてサイゴンと呼ばれていた街、ホーチミンに入りました。この街は、人口900万の大都市であります。今なおサイゴンと呼ばれていて、ホーチミンの名前が次第に薄れております。台風接近の折には、街中が冠水するという状況でありまして、今回は、街路樹が何本も倒壊し、死者も出たように聞いています。ハノイといいホーチミンといい、低湿地帯に作られた街で、水と風に弱い街なのかなあと感じました。
さて、ホーチミンでは、ベトナム戦争の時に採掘された全長250kmに及ぶ地下トンネルを視察しました。入ってみると天井が大変低く、頭も上げられません。ふうふう言いながら25mほど歩いてみましたが、「もう勘弁してください、これ以上はとても無理です」というような状況で、みなギブアップしました。当時、ベトコンがこの地下トンネルを縦横無尽に走っていたのかと、こんな道が何キロにも及ぶかと思いますと、ゾッとします。
地下トンネルの中には、アメリカ軍の攻撃から逃れるために、地上からの空気抜きや取水口等の工夫がいたるところにありました。また、あらゆる方法でアメリカ軍を殺害する、あるいは、戦闘能力を失わせるための落とし穴などもありました。大変残酷な気もしましたけれども、独立を勝ち取るために必死の戦いの中で生まれた彼らの戦法を、誰も責めることはできないと思います。
このベトナム戦争は、ベトナム対アメリカの戦争のように思われています。共産主義の中国やソ連が背後から北ベトナムを支援し、自由主義の国アメリカが南ベトナムを支援しましたので、代理戦争ともいわれています。しかしながら、それは一面的な見方だと思います。ベトナム戦争は、北ベトナムと南ベトナムの国内戦争であったことは明らかであり、まぎれもない事実であります。
今、ベトナムは社会主義国です。国土はすべて国のものであり、一党独裁の共産党政権が支配していることは変わりありません。しかし、一般市民達は、自由主義経済を謳歌し活力にあふれ、経済的にも大変な発展をしている様子が分かります。あと10年もすれば、さらに様々なインフラの整備が行われ、発展した国になることでしょう。
- |徒然
岡山県の活性化のために一人でも多くの方とふれあい、たくさんのご意見をお聞きしたいと思います。