2016年09月09日 「とって隠岐の旅」に行ってまいりました!
8月20日・21日の二日間、「とって隠岐の旅」に行ってまいりました。
8月20日、朝6時に19名の仲間達が集合し、3台のワゴン車に分乗して出発をしました。久々の「とって隠岐の旅」でしたので、どれくらいの経費がかかるのか少々心配ではありましたけれど、一人1泊2日で4万円という計画を立てました。
七類港を9時半に出発し、約2時間で隠岐島前の知夫里島に到着しました。それから観光バスに乗って、赤ハゲ山の頂上に立ちました。視界は360度、うっすらと島根半島が南に見え、北には中ノ島と西ノ島、そして島後の島々が眺望できます。眼下には木の生えていない草原が続き、牛や馬が放牧されています。足摺岬に立った時の風景とよく似ているような眺めを堪能しました。
そして、バスで山を下り、名勝赤カベを見学いたしました。火山活動によって隆起した岩盤そのものがむき出しになっており、断崖絶壁の岩肌は赤色です。まことに見事というか、不気味というか、そういう感じがいたします。頂上に立ちますと、そこには柵一つなく、眼下の海に吸い込まれるようです。ある意味では非常に危険な場所ですけれども、紺碧の日本海が打ち寄せるまことに美しい風景であります。
その後、ホテル知夫の里で昼食をとり、サザエの天ぷら丼をいただきました。そして、知夫港から船に乗り、西ノ島の別府港に上陸し、観光バスに乗り換え、後醍醐天皇行在所跡を訪れました。そこからさらにバスで摩天崖の頂上に向かい、ゆったりとした草原をウォーキングしました。牛や馬が草をはみ、まことにのんびりした風景であります。高さ300mの頂上に立ちますと、言葉を失うほどの美しい光景が広がっております。しばしたたずんで光景を楽しみ、記念撮影をいたしました。
その頂上から40分をかけて山を下りて国賀浜に向かい、国賀海岸の遊覧に出発をしました。この日の波は穏やかでしたが、日本海の荒波に削られた断崖絶壁が延々と続き、その光景に感嘆の声をもらすばかりであります。途中、岸壁が波に削られてできた洞窟に船ごと入っていきますと、真っ暗な洞窟の中は別世界のようです。船の両サイドぎりぎり、岸壁に触れるようで触れない、そんな洞窟を走り抜けました。
夕方、海士町菱浦港に入港し、やっと今晩の宿泊先マリンポートホテル海士にたどり着きました。日も落ちて、すっかり夕闇になった午後7時、ホテルに設けられたバーベキューの場所で、シーフードバーベキューが始まりました。さざえやあわび、各種の魚といった海の幸と、幻の隠岐牛の焼き肉もありました。皆さんビールを飲みながら、バーベキューを楽しまれていました。町長から美味しいお酒の差し入れもあり、海士町が誇る「承久の宴」を堪能しました。その後は、夜釣りに行った人もいれば、カラオケを楽しんだ人もいるように聞いています。私はといえば、すっかり疲れて爆睡をしてしまいました。
21日は、菱浦港のマリンポートホテルのすぐ近くにある、菱浦港キンニャモニャセンターを訪れました。ここでは、海中展望船あまんぼうに乗り、三郎岩の立つ海底探索を楽しむことができます。船長さんが撒き餌をすると、タイやスズキ、チヌや黒鯛といった魚がたくさん集まります。スズメダイの群れが、ぶわーっと通るのを見ることもできました。まるで巨大な水族館の中にいるようで、魚の泳ぐ姿を見ているのは大変面白かったです。
その後、観光バスに乗り、歴史民俗資料館から後鳥羽上皇の御火葬塚と行在所へお参りし、神社にお詣りいたしました。それから、金光寺山に向かいました。古くから湯治場として知られた場所で、小野篁が配流後100日祈願をしたと伝えられています。頂上から見る海の景色は非常に素晴らしく、眼下に私の生まれた実家も見えます。そして、明屋海岸をめぐり、キンニャモニャセンターに帰ってきました。
お昼時になりましたので、海士町名物の岩牡蠣を昼食にいただきました。岩牡蠣は岡山の牡蠣の4倍ほど大きさがあります。CASというセルアライブシステム冷凍で保存されていますので、とれたての岩牡蠣と同じ味がするくらい美味しいのです。
昼食後は、フェリーで別府港に渡り、そこから高速船レインボーに乗り換えて七類港に向かいました。行きのフェリーは2時間ほどかかりましたが、帰りの高速船は1時間ほどで七類港に到着しました。そして、七類港から再び3台のワゴン車に分乗して岡山に向かい、午後6時に到着いたしました。
経費の面ですが、4万円で足りると思っていましたが、観光船や観光バスが値上げをしており、大幅な赤字の旅になりました。他の人には分かりませんけれども、お金を預かる私としては、観光客の足元を見たような価格の設定にいささか腹を立てました。しかし、1年間の稼ぎを半年ほどで稼ごうと思えば、やむをえざる値上げともいえます。秋以降は海が荒れて観光客も激減しますし、冬は欠航することもしばしばです。
皆さんは、隠岐の素晴らしさを堪能して、喜んでくださったようです。隠岐の島には、他にも隠岐の島町という大きな島がありますが、その観光はいたしませんでした。そのため、島後観光はまた日を改めてと、宿題にして帰ってきた次第です。
隠岐旅行から帰った後の1週間は、交流会や懇親会が続きました。
8月26日は、岡山・香川の県議会親善野球大会がマスカット球場で開かれ、私は応援団の一員として参加をしました。ユニフォームを着ていきますと、監督にピンチヒッターやピンチランナーで使われる恐れがあります。そこで、スーツを着て参加をし、太鼓をたたいて応援にまわりました。
結果は10-1で、勝利いたしました!香川県議会との対戦成績を30戦のうち、15勝15負に持っていくことができました。エースピッチャー江本県議の活躍が光りました。
その後、アイビースクエアで交流会が開かれる予定でしたが、この夜は北区が激しいゲリラ豪雨に襲われ市内の一部が冠水する状況でした。私は急遽帰宅して待機をしていましたので、ついに交流会には参加できませんでした。今後の災害では、ゲリラ豪雨など水害に対する備えをきちんとしなければならないと思います。それに耐えうるインフラが整備されているのか、また、内水面の水を、都市排水により一刻も早く排水できるかどうか等、対策が必要です。
27日は、今年最後の夏祭りともいえる御南学区の星空サマーコンサートがあり、その後、中楢津の夏祭り盆踊り大会がありました。この日は前日とうってかわり、秋風の吹く爽やかな夏祭りの夜となりました。8月7日に立秋を迎えましたが、その2週間後に、遅まきながら暦は秋を忘れず届けてくれた気がします。
そして、8月31日から9月4日まで、我が道場至誠館で、岡山大学空手道部と岡山商科大学空手道部の合同合宿でした。しっかり汗を流し、9月の定例議会を迎えております。
8月20日、朝6時に19名の仲間達が集合し、3台のワゴン車に分乗して出発をしました。久々の「とって隠岐の旅」でしたので、どれくらいの経費がかかるのか少々心配ではありましたけれど、一人1泊2日で4万円という計画を立てました。
七類港を9時半に出発し、約2時間で隠岐島前の知夫里島に到着しました。それから観光バスに乗って、赤ハゲ山の頂上に立ちました。視界は360度、うっすらと島根半島が南に見え、北には中ノ島と西ノ島、そして島後の島々が眺望できます。眼下には木の生えていない草原が続き、牛や馬が放牧されています。足摺岬に立った時の風景とよく似ているような眺めを堪能しました。
そして、バスで山を下り、名勝赤カベを見学いたしました。火山活動によって隆起した岩盤そのものがむき出しになっており、断崖絶壁の岩肌は赤色です。まことに見事というか、不気味というか、そういう感じがいたします。頂上に立ちますと、そこには柵一つなく、眼下の海に吸い込まれるようです。ある意味では非常に危険な場所ですけれども、紺碧の日本海が打ち寄せるまことに美しい風景であります。
その後、ホテル知夫の里で昼食をとり、サザエの天ぷら丼をいただきました。そして、知夫港から船に乗り、西ノ島の別府港に上陸し、観光バスに乗り換え、後醍醐天皇行在所跡を訪れました。そこからさらにバスで摩天崖の頂上に向かい、ゆったりとした草原をウォーキングしました。牛や馬が草をはみ、まことにのんびりした風景であります。高さ300mの頂上に立ちますと、言葉を失うほどの美しい光景が広がっております。しばしたたずんで光景を楽しみ、記念撮影をいたしました。
その頂上から40分をかけて山を下りて国賀浜に向かい、国賀海岸の遊覧に出発をしました。この日の波は穏やかでしたが、日本海の荒波に削られた断崖絶壁が延々と続き、その光景に感嘆の声をもらすばかりであります。途中、岸壁が波に削られてできた洞窟に船ごと入っていきますと、真っ暗な洞窟の中は別世界のようです。船の両サイドぎりぎり、岸壁に触れるようで触れない、そんな洞窟を走り抜けました。
夕方、海士町菱浦港に入港し、やっと今晩の宿泊先マリンポートホテル海士にたどり着きました。日も落ちて、すっかり夕闇になった午後7時、ホテルに設けられたバーベキューの場所で、シーフードバーベキューが始まりました。さざえやあわび、各種の魚といった海の幸と、幻の隠岐牛の焼き肉もありました。皆さんビールを飲みながら、バーベキューを楽しまれていました。町長から美味しいお酒の差し入れもあり、海士町が誇る「承久の宴」を堪能しました。その後は、夜釣りに行った人もいれば、カラオケを楽しんだ人もいるように聞いています。私はといえば、すっかり疲れて爆睡をしてしまいました。
21日は、菱浦港のマリンポートホテルのすぐ近くにある、菱浦港キンニャモニャセンターを訪れました。ここでは、海中展望船あまんぼうに乗り、三郎岩の立つ海底探索を楽しむことができます。船長さんが撒き餌をすると、タイやスズキ、チヌや黒鯛といった魚がたくさん集まります。スズメダイの群れが、ぶわーっと通るのを見ることもできました。まるで巨大な水族館の中にいるようで、魚の泳ぐ姿を見ているのは大変面白かったです。
その後、観光バスに乗り、歴史民俗資料館から後鳥羽上皇の御火葬塚と行在所へお参りし、神社にお詣りいたしました。それから、金光寺山に向かいました。古くから湯治場として知られた場所で、小野篁が配流後100日祈願をしたと伝えられています。頂上から見る海の景色は非常に素晴らしく、眼下に私の生まれた実家も見えます。そして、明屋海岸をめぐり、キンニャモニャセンターに帰ってきました。
お昼時になりましたので、海士町名物の岩牡蠣を昼食にいただきました。岩牡蠣は岡山の牡蠣の4倍ほど大きさがあります。CASというセルアライブシステム冷凍で保存されていますので、とれたての岩牡蠣と同じ味がするくらい美味しいのです。
昼食後は、フェリーで別府港に渡り、そこから高速船レインボーに乗り換えて七類港に向かいました。行きのフェリーは2時間ほどかかりましたが、帰りの高速船は1時間ほどで七類港に到着しました。そして、七類港から再び3台のワゴン車に分乗して岡山に向かい、午後6時に到着いたしました。
経費の面ですが、4万円で足りると思っていましたが、観光船や観光バスが値上げをしており、大幅な赤字の旅になりました。他の人には分かりませんけれども、お金を預かる私としては、観光客の足元を見たような価格の設定にいささか腹を立てました。しかし、1年間の稼ぎを半年ほどで稼ごうと思えば、やむをえざる値上げともいえます。秋以降は海が荒れて観光客も激減しますし、冬は欠航することもしばしばです。
皆さんは、隠岐の素晴らしさを堪能して、喜んでくださったようです。隠岐の島には、他にも隠岐の島町という大きな島がありますが、その観光はいたしませんでした。そのため、島後観光はまた日を改めてと、宿題にして帰ってきた次第です。
隠岐旅行から帰った後の1週間は、交流会や懇親会が続きました。
8月26日は、岡山・香川の県議会親善野球大会がマスカット球場で開かれ、私は応援団の一員として参加をしました。ユニフォームを着ていきますと、監督にピンチヒッターやピンチランナーで使われる恐れがあります。そこで、スーツを着て参加をし、太鼓をたたいて応援にまわりました。
結果は10-1で、勝利いたしました!香川県議会との対戦成績を30戦のうち、15勝15負に持っていくことができました。エースピッチャー江本県議の活躍が光りました。
その後、アイビースクエアで交流会が開かれる予定でしたが、この夜は北区が激しいゲリラ豪雨に襲われ市内の一部が冠水する状況でした。私は急遽帰宅して待機をしていましたので、ついに交流会には参加できませんでした。今後の災害では、ゲリラ豪雨など水害に対する備えをきちんとしなければならないと思います。それに耐えうるインフラが整備されているのか、また、内水面の水を、都市排水により一刻も早く排水できるかどうか等、対策が必要です。
27日は、今年最後の夏祭りともいえる御南学区の星空サマーコンサートがあり、その後、中楢津の夏祭り盆踊り大会がありました。この日は前日とうってかわり、秋風の吹く爽やかな夏祭りの夜となりました。8月7日に立秋を迎えましたが、その2週間後に、遅まきながら暦は秋を忘れず届けてくれた気がします。
そして、8月31日から9月4日まで、我が道場至誠館で、岡山大学空手道部と岡山商科大学空手道部の合同合宿でした。しっかり汗を流し、9月の定例議会を迎えております。
- |徒然
岡山県の活性化のために一人でも多くの方とふれあい、たくさんのご意見をお聞きしたいと思います。