2016年12月23日 金婚式を迎えて =波乱万丈の半生記= 波乱万丈その七
ある時、同僚の仲間が言いました。「もうすぐ定年じゃなぁ」。
「なにぃ!」教員には定められた年があって、どんなに教育を愛していても、どんなに子供達を愛していても現場を去らなければならない時がある、と言う。
誰が決めたんなら?教育は男児一生の仕事、と思ってやってきたものを、「定年ですからクビです!」そんな話なんか?「分かった、ほんなら、こっちから止めてやらぁ!」とばかり、「定年」まで2年を残していましたが、ついに退職の道を選んだのであります。58歳の時であります。
波乱万丈その八 波多洋治、旅館を買う?!
退職直後、資本金一千万を以て、株式会社雄豊(妻と長男の名前の一字)を設立。不動産と古物商の仕事であります。ちっぽけな会社です。しかし、私には会社が必要でした。なぜなら、私の教え子達が職に迷い、職を失い、路頭に迷ったときの受け皿、入れ物・袋が欲しかったのです。
何人もの教え子達の就職のお手伝いをしました。大学の先輩を頼り、教え子達の親を頼りました。しかし、時代は次第に不景気の波が押し寄せることとなり、お願いしてもお願いしても断られるようになりました。その時です。岡山の中堅ゼネコンの社長とホテルのオーナーから、「新松之江」という旅館を買ってくれないか、という話が持ち込まれました。旅館も大きく、立地条件もよく、価格は6億円でした。私はこれこそ、の恵みと思って、買いに出たのであります。
叔父の会社倒産の時に力を貸してくれた地元の銀行が、半分の3億円を融資します、と返事をくれました。後3億!残りの3億を借りるために、私は、大阪・名古屋・東京・福岡・沖縄と、走りました。しかし、世間の風は冷たかった、誰も貸してはくれませんでした。
様々な職種の生かせる職場、それが「新松之江」だったのです。受付もいる、運転手もいる、中居さんもいる、料理人にもいる、植木屋さんもいる。職に迷ったいろいろな教え子の受け皿になれる、そう思いながら融資の協力をお願いしましたが、ついに力尽きてしまいました。
「なにぃ!」教員には定められた年があって、どんなに教育を愛していても、どんなに子供達を愛していても現場を去らなければならない時がある、と言う。
誰が決めたんなら?教育は男児一生の仕事、と思ってやってきたものを、「定年ですからクビです!」そんな話なんか?「分かった、ほんなら、こっちから止めてやらぁ!」とばかり、「定年」まで2年を残していましたが、ついに退職の道を選んだのであります。58歳の時であります。
波乱万丈その八 波多洋治、旅館を買う?!
退職直後、資本金一千万を以て、株式会社雄豊(妻と長男の名前の一字)を設立。不動産と古物商の仕事であります。ちっぽけな会社です。しかし、私には会社が必要でした。なぜなら、私の教え子達が職に迷い、職を失い、路頭に迷ったときの受け皿、入れ物・袋が欲しかったのです。
何人もの教え子達の就職のお手伝いをしました。大学の先輩を頼り、教え子達の親を頼りました。しかし、時代は次第に不景気の波が押し寄せることとなり、お願いしてもお願いしても断られるようになりました。その時です。岡山の中堅ゼネコンの社長とホテルのオーナーから、「新松之江」という旅館を買ってくれないか、という話が持ち込まれました。旅館も大きく、立地条件もよく、価格は6億円でした。私はこれこそ、の恵みと思って、買いに出たのであります。
叔父の会社倒産の時に力を貸してくれた地元の銀行が、半分の3億円を融資します、と返事をくれました。後3億!残りの3億を借りるために、私は、大阪・名古屋・東京・福岡・沖縄と、走りました。しかし、世間の風は冷たかった、誰も貸してはくれませんでした。
様々な職種の生かせる職場、それが「新松之江」だったのです。受付もいる、運転手もいる、中居さんもいる、料理人にもいる、植木屋さんもいる。職に迷ったいろいろな教え子の受け皿になれる、そう思いながら融資の協力をお願いしましたが、ついに力尽きてしまいました。
- |徒然
岡山県の活性化のために一人でも多くの方とふれあい、たくさんのご意見をお聞きしたいと思います。