2016年12月24日 金婚式を迎えて =波乱万丈の半生記= 波乱万丈その八
退職直後、資本金一千万を以て、株式会社雄豊(妻と長男の名前の一字)を設立。不動産と古物商の仕事であります。ちっぽけな会社です。しかし、私には会社が必要でした。なぜなら、私の教え子達が職に迷い、職を失い、路頭に迷ったときの受け皿、入れ物・袋が欲しかったのです。
何人もの教え子達の就職のお手伝いをしました。大学の先輩を頼り、教え子達の親を頼りました。しかし、時代は次第に不景気の波が押し寄せることとなり、お願いしてもお願いしても断られるようになりました。
その時です。岡山の中堅ゼネコンの社長とホテルのオーナーから、「新松之江」という旅館を買ってくれないか、という話が持ち込まれました。旅館も大きく、立地条件もよく、価格は6億円でした。私はこれこそ、の恵みと思って、買いに出たのであります。
叔父の会社倒産の時に力を貸してくれた地元の銀行が、半分の3億円を融資します、と返事をくれました。後3億!残りの3億を借りるために、私は、大阪・名古屋・東京・福岡・沖縄と、走りました。しかし、世間の風は冷たかった、誰も貸してはくれませんでした。
様々な職種の生かせる職場、それが「新松之江」だったのです。受付もいる、運転手もいる、中居さんもいる、料理人にもいる、植木屋さんもいる。職に迷ったいろいろな教え子の受け皿になれる、そう思いながら融資の協力をお願いしましたが、ついに力尽きてしまいました。
何人もの教え子達の就職のお手伝いをしました。大学の先輩を頼り、教え子達の親を頼りました。しかし、時代は次第に不景気の波が押し寄せることとなり、お願いしてもお願いしても断られるようになりました。
その時です。岡山の中堅ゼネコンの社長とホテルのオーナーから、「新松之江」という旅館を買ってくれないか、という話が持ち込まれました。旅館も大きく、立地条件もよく、価格は6億円でした。私はこれこそ、の恵みと思って、買いに出たのであります。
叔父の会社倒産の時に力を貸してくれた地元の銀行が、半分の3億円を融資します、と返事をくれました。後3億!残りの3億を借りるために、私は、大阪・名古屋・東京・福岡・沖縄と、走りました。しかし、世間の風は冷たかった、誰も貸してはくれませんでした。
様々な職種の生かせる職場、それが「新松之江」だったのです。受付もいる、運転手もいる、中居さんもいる、料理人にもいる、植木屋さんもいる。職に迷ったいろいろな教え子の受け皿になれる、そう思いながら融資の協力をお願いしましたが、ついに力尽きてしまいました。
- |徒然
岡山県の活性化のために一人でも多くの方とふれあい、たくさんのご意見をお聞きしたいと思います。