2018年10月27日 10月27日(土)全国母子寡婦福祉研究大会【県政】
13時~、プラザホテルにて「全国母子寡婦福祉研究大会」がありました。
日本全国から多くの会員が集い、賑やかかつ盛大な研修大会となりました。
「私の母も戦地で夫を亡くし、25歳という若さで戦争未亡人となりました。戦後の貧しく厳しい時代を、子ども一人を背負い生きてきました。
“親が子どもに授けられる財は教育しかない”という信念のもと、鉄工所で鉄粉にまみれながら働き、岡大まで出してくれました。
240万人にも及ぶ若者を失った日本の再生再建を支えたのは女性の力でした。
戦後から74年。かつての未亡人たちは「我が幸せは我が手で」を合言葉に頑張ってきましたが、今は「築こう人の絆、守ろう地域の輪」をキャッチフレーズに、共に支え合い、励まし合って生きていこうと頑張っておられます。
しかしながら、母子・寡婦、一人親家庭の皆が最後に頼るべくは政治行政の力なのかもしれません。
“自助”から“共助”へと時代は移り、これからは“公助”の時代。結婚、育児、就職など、人生のさまざまな階段を安心して上れるよう、生活保障を充実させていくことが行政の仕事です。本日ご参会されている国会議員の先生方、厚生労働省の皆さまの双肩に、母子・寡婦の皆さんの未来がかかっているのです。」と、議会代表としての祝辞を述べてきました。
ちなみにこの日は、「新岡山カントリークラブ」にて、第16回熱血杯ゴルフコンペが行われました。今回は参加できませんでしたが、次回コンペを楽しみにしています。
日本全国から多くの会員が集い、賑やかかつ盛大な研修大会となりました。
「私の母も戦地で夫を亡くし、25歳という若さで戦争未亡人となりました。戦後の貧しく厳しい時代を、子ども一人を背負い生きてきました。
“親が子どもに授けられる財は教育しかない”という信念のもと、鉄工所で鉄粉にまみれながら働き、岡大まで出してくれました。
240万人にも及ぶ若者を失った日本の再生再建を支えたのは女性の力でした。
戦後から74年。かつての未亡人たちは「我が幸せは我が手で」を合言葉に頑張ってきましたが、今は「築こう人の絆、守ろう地域の輪」をキャッチフレーズに、共に支え合い、励まし合って生きていこうと頑張っておられます。
しかしながら、母子・寡婦、一人親家庭の皆が最後に頼るべくは政治行政の力なのかもしれません。
“自助”から“共助”へと時代は移り、これからは“公助”の時代。結婚、育児、就職など、人生のさまざまな階段を安心して上れるよう、生活保障を充実させていくことが行政の仕事です。本日ご参会されている国会議員の先生方、厚生労働省の皆さまの双肩に、母子・寡婦の皆さんの未来がかかっているのです。」と、議会代表としての祝辞を述べてきました。
ちなみにこの日は、「新岡山カントリークラブ」にて、第16回熱血杯ゴルフコンペが行われました。今回は参加できませんでしたが、次回コンペを楽しみにしています。
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