2019年08月12日 8月12日(月)~16日(金)【徒然】ベトナム旅行へ
この日から5日間のベトナム旅行の始まりです。
午前4時起床。新幹線とはるかを乗り継ぎ関西国際空港へ。
朝10時30分発のベトナム航空321便にてホーチミンへむけて飛び立ちました。
5時間45分のフライトののち、現地時間の午後2時45分(日本との時差2時間)無地到着です。そこからさらに飛行機を乗り継いで、フーコック島まで移動。島に到着したのは、辺りがすっかり薄暗くなった、午後7時30分でした。
空港からはホテルまでは車で移動。洪水のごとき量の自動車とオートバイがせめぎ合う道をひた走ること数時間。途中レストランで海鮮料理の夕食をとり、宿泊先である『ヴィンパールルゾートホテル』にチェックインしたのは、夜中の12時過ぎでした。雨季に入っているフーコック島は、4日前の台風の影響もあって道路の凸凹が激しく、終始のろのろ運転での移動。インフラ整備が遅れていることを痛感しての旅の始まりとなりました。
この島は、今年1月に開業した『コロナ』という巨大なカジノがあり、大勢の外国人観光客でにぎわっています。
現地ガイドの話によると、もともと何もなかったこの島に、リゾートホテルやカジノ建設が持ち上がったことで、一夜にして莫大な資産を手にした大勢の土地成金が誕生したのだとか。しかし、残念ながら完成したカジノへのベトナム人入店は認められておらず、彼らは目と鼻の先にあるカンボジアのカジノまで足を運んだ結果、瞬く間に手にした資金を使い果たし、挙句借金まで作ってしまい、最後には飛び降り自殺をするものも少なくなかったのだとか。“飛び込み橋”なる名所ができているのも皮肉なことです。
人間の心の弱さ、射幸心にあおられ自分を失う自制心のないものが、思いがけない大金を手にすると、坂道を転がるように破滅に向かうものなんだなと、改めて考えさせられた話でした。
さて、この島には、絶叫マシンや水族館、プール、ウオータースライダー、ゴルフ場、サファリパークなどなど様々なアクティビティがそろっています。お金と時間さえあれば、遊ぶに困ることのない魅力的なリゾート地ですので、興味のある方はぜひ一度訪れてみてください。
15日(木)。朝7時55分、一路ホーチミンへ。
ホーチミンでは、まず戦争博物館へ立ち寄りました。ここには、ベトナム戦争を中心とする多くの資料が展示されており、戦争で実際に使用された武器や弾薬、戦闘機や戦車などを見ることができます。
また、日本でもよく知られた“ベトちゃんドクちゃん”の記録をはじめ、アメリカ軍によって投下された枯葉剤が、人体に及ぼした影響や戦地の様子を残した写真や遺品も公開されています。アメリカからの訪問者も多く、毎年100万人近い入館者がいるそうです。
改めて戦争の恐ろしさ、虚しさ、命の尊さ、平和の大切さを考えさせられる意義のある訪問でした。
次に訪れたのは「クチトンネル」。
ベトナム戦争時のベトコンの地下施設です。まるで蜘蛛の巣のように縦横に張り巡らされたトンネルは全長250㎞以上。低く細いトンネル内部を、少しの区間できすが歩くこともでき、今では、毎年国内外から約100万人以上が訪れるという観光地のようになっています。ですが、決して、単に観光地として見て終わるのではなく、改めて戦争について深く考える場所であってほしいと思っています。
その後、ベトナムの伝統衣装である“アオザイ”の試着体験をしたのち、夜には「サイゴンオペラハウス」にて“AOショー”を鑑賞しました。
20名ほどの若者による、ベトナム伝統の生活の様子を舞踏で表現したショーで、圧巻のパフォーマンスが満席の観客を魅了しました。
翌16日(金)ベトナム旅行最終日。
展望台から、発展途上にあるベトナムの夜景を鑑賞し、ベトナム最後の夜を満喫しました。
メコン川流域に発達してきたベトナムは、総じて湿地帯にあり、雨季には激しい雨が降りますが、排水整備や道路舗装が整っておらず、道路冠水は珍しくありません。それでも、先般訪問した、インド・ムンバイに比べると近代的な高層ビルが立ち並び、数年前に訪れたときと比べかなり発展した様子に驚きました。一方で、その発展から取り残された人々もおり、貧富の差が広がりつつあると感じたのも事実ですが、行く先々で目にした、ベトナムの方々の真面目でていねいな仕事ぶりにはとても感心しましました。
現在、日本の多くの企業でも、大勢のベトナム人が日本経済を支える人材として活躍してくれていることに感謝しつつ、今後のベトナムのさらなる発展を願ってホーチミンを後にしました。
午前4時起床。新幹線とはるかを乗り継ぎ関西国際空港へ。
朝10時30分発のベトナム航空321便にてホーチミンへむけて飛び立ちました。
5時間45分のフライトののち、現地時間の午後2時45分(日本との時差2時間)無地到着です。そこからさらに飛行機を乗り継いで、フーコック島まで移動。島に到着したのは、辺りがすっかり薄暗くなった、午後7時30分でした。
空港からはホテルまでは車で移動。洪水のごとき量の自動車とオートバイがせめぎ合う道をひた走ること数時間。途中レストランで海鮮料理の夕食をとり、宿泊先である『ヴィンパールルゾートホテル』にチェックインしたのは、夜中の12時過ぎでした。雨季に入っているフーコック島は、4日前の台風の影響もあって道路の凸凹が激しく、終始のろのろ運転での移動。インフラ整備が遅れていることを痛感しての旅の始まりとなりました。
この島は、今年1月に開業した『コロナ』という巨大なカジノがあり、大勢の外国人観光客でにぎわっています。
現地ガイドの話によると、もともと何もなかったこの島に、リゾートホテルやカジノ建設が持ち上がったことで、一夜にして莫大な資産を手にした大勢の土地成金が誕生したのだとか。しかし、残念ながら完成したカジノへのベトナム人入店は認められておらず、彼らは目と鼻の先にあるカンボジアのカジノまで足を運んだ結果、瞬く間に手にした資金を使い果たし、挙句借金まで作ってしまい、最後には飛び降り自殺をするものも少なくなかったのだとか。“飛び込み橋”なる名所ができているのも皮肉なことです。
人間の心の弱さ、射幸心にあおられ自分を失う自制心のないものが、思いがけない大金を手にすると、坂道を転がるように破滅に向かうものなんだなと、改めて考えさせられた話でした。
さて、この島には、絶叫マシンや水族館、プール、ウオータースライダー、ゴルフ場、サファリパークなどなど様々なアクティビティがそろっています。お金と時間さえあれば、遊ぶに困ることのない魅力的なリゾート地ですので、興味のある方はぜひ一度訪れてみてください。
15日(木)。朝7時55分、一路ホーチミンへ。
ホーチミンでは、まず戦争博物館へ立ち寄りました。ここには、ベトナム戦争を中心とする多くの資料が展示されており、戦争で実際に使用された武器や弾薬、戦闘機や戦車などを見ることができます。
また、日本でもよく知られた“ベトちゃんドクちゃん”の記録をはじめ、アメリカ軍によって投下された枯葉剤が、人体に及ぼした影響や戦地の様子を残した写真や遺品も公開されています。アメリカからの訪問者も多く、毎年100万人近い入館者がいるそうです。
改めて戦争の恐ろしさ、虚しさ、命の尊さ、平和の大切さを考えさせられる意義のある訪問でした。
次に訪れたのは「クチトンネル」。
ベトナム戦争時のベトコンの地下施設です。まるで蜘蛛の巣のように縦横に張り巡らされたトンネルは全長250㎞以上。低く細いトンネル内部を、少しの区間できすが歩くこともでき、今では、毎年国内外から約100万人以上が訪れるという観光地のようになっています。ですが、決して、単に観光地として見て終わるのではなく、改めて戦争について深く考える場所であってほしいと思っています。
その後、ベトナムの伝統衣装である“アオザイ”の試着体験をしたのち、夜には「サイゴンオペラハウス」にて“AOショー”を鑑賞しました。
20名ほどの若者による、ベトナム伝統の生活の様子を舞踏で表現したショーで、圧巻のパフォーマンスが満席の観客を魅了しました。
翌16日(金)ベトナム旅行最終日。
展望台から、発展途上にあるベトナムの夜景を鑑賞し、ベトナム最後の夜を満喫しました。
メコン川流域に発達してきたベトナムは、総じて湿地帯にあり、雨季には激しい雨が降りますが、排水整備や道路舗装が整っておらず、道路冠水は珍しくありません。それでも、先般訪問した、インド・ムンバイに比べると近代的な高層ビルが立ち並び、数年前に訪れたときと比べかなり発展した様子に驚きました。一方で、その発展から取り残された人々もおり、貧富の差が広がりつつあると感じたのも事実ですが、行く先々で目にした、ベトナムの方々の真面目でていねいな仕事ぶりにはとても感心しましました。
現在、日本の多くの企業でも、大勢のベトナム人が日本経済を支える人材として活躍してくれていることに感謝しつつ、今後のベトナムのさらなる発展を願ってホーチミンを後にしました。
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