2019年11月26日 11月26日(火)愛犬“令和(れい)
この夏、我が家では秋田犬の子犬、令和(れい)が新しい家族の一員となりました。
去る7月22日~25日の間、総務委員会視察で秋田、青森、岩手の三県を周りました。
視察先のひとつに、民営化にむけての検討が行われている秋田空港がありました。民営化への移行は岡山空港にもいずれ及んでくる問題であり、大変参考になるものだったのですが、それは一旦さておき、空港を訪れた際に目に入ってきたのが、私によく似た人(なまはげ)と、秋田犬のぬいぐるみでした。
ふわふわでかわいいそのぬいぐるみを、土産に買って帰ると、孫が大変気に入り、毎晩だっこして寝ているとの報告が。これは、ぜひとも本物を飼ってやらねばと、早速、秋田犬保存会に連絡をとりました。岡山市在住の秋田犬のブリーダー・栗尾さんにも相談に乗ってもらい、ようやく迎えることができたのが、7月7日生まれのメスの秋田犬、命名「令和(れい)」です。
れいの母犬は、昨年秋田犬の品評会で優勝した犬で、ロシアのフィギュアスケーター・ザギトワ選手に贈られた秋田犬“まさる”の親戚にあたります。
迎えた当初は、スチールケージで飼っていましたが、成長時には体重50~60キロにもなるため、ただ今、建築会社にお願いして玄関前にあたらしい小屋を建築中です。
れいが我が家にやってきてからというもの、毎朝6時には起床し、朝食後に散歩、夜は夕食後に散歩と規則正しい生活が続いています。孫のために迎えた子犬でしたが、自分の健康のためにも一役買ってくれています。
孫をはじめ、近所の人からもかわいい、かわいいと可愛がられながらすくすくと成長しているれい。飼い主に似て脚が長く、とても美形。愛想のいいワンちゃんです。
私は、その昔、大学の寮の一室で雑種の“ジョン”と寝食を共にしていました。
大変貧しかった時代で、自分のご飯の半分と、豚汁のなかの豚肉を分けて与えていました。当時、応援団の団長をしており、学園祭で行う市中パレードには、私の隣をジョンも闊歩したものです。大変賢い犬で、授業にも付いてきては教室の片隅で静かに寝そべって待っていました。ある時、「青年心理学」の授業で、珍しくジョンが「フワ―ッ」と声をあげて大あくびをしたものだから、学生たちはみな大笑い。先生が「どこの犬かね」とジョンをにらんだこともありました。
そんな、学生時代をずっと一緒にすごしてきたジョンでしたが、教師になった私の最初の赴任先が新見市に決まり、ジョンは後に私の奥さんとなった、当時の彼女の実家で預かってもらうことになりました。
それから2年後、昭和43年3月。私のもとに「ジョンが危ないよ」という電話が。急いで電車に飛び乗り、駆けつけたところ、私の到着を待っていたかのように、お腹をそっとさすってやっている最中に静かに目を閉じ、そのまま永遠の眠りにつきました。
その後、私は宇野小学校に転属、3年生の担任になりました。
子どもたちにとって、動物と触れ合うことは大切な教育のひとつだと思い、教室には亀、メダカ、ザリガニ、金魚。校庭のプレパブには犬やニワトリなどを飼育していました。
ある朝当校すると、プレハブの近くに、“金魚の墓”と書かれた割りばしを立てて、手を合わせている子どもたちの姿がありました。生き物への愛情あふれる姿に感動を覚えた思い出です。
去る7月22日~25日の間、総務委員会視察で秋田、青森、岩手の三県を周りました。
視察先のひとつに、民営化にむけての検討が行われている秋田空港がありました。民営化への移行は岡山空港にもいずれ及んでくる問題であり、大変参考になるものだったのですが、それは一旦さておき、空港を訪れた際に目に入ってきたのが、私によく似た人(なまはげ)と、秋田犬のぬいぐるみでした。
ふわふわでかわいいそのぬいぐるみを、土産に買って帰ると、孫が大変気に入り、毎晩だっこして寝ているとの報告が。これは、ぜひとも本物を飼ってやらねばと、早速、秋田犬保存会に連絡をとりました。岡山市在住の秋田犬のブリーダー・栗尾さんにも相談に乗ってもらい、ようやく迎えることができたのが、7月7日生まれのメスの秋田犬、命名「令和(れい)」です。
れいの母犬は、昨年秋田犬の品評会で優勝した犬で、ロシアのフィギュアスケーター・ザギトワ選手に贈られた秋田犬“まさる”の親戚にあたります。
迎えた当初は、スチールケージで飼っていましたが、成長時には体重50~60キロにもなるため、ただ今、建築会社にお願いして玄関前にあたらしい小屋を建築中です。
れいが我が家にやってきてからというもの、毎朝6時には起床し、朝食後に散歩、夜は夕食後に散歩と規則正しい生活が続いています。孫のために迎えた子犬でしたが、自分の健康のためにも一役買ってくれています。
孫をはじめ、近所の人からもかわいい、かわいいと可愛がられながらすくすくと成長しているれい。飼い主に似て脚が長く、とても美形。愛想のいいワンちゃんです。
私は、その昔、大学の寮の一室で雑種の“ジョン”と寝食を共にしていました。
大変貧しかった時代で、自分のご飯の半分と、豚汁のなかの豚肉を分けて与えていました。当時、応援団の団長をしており、学園祭で行う市中パレードには、私の隣をジョンも闊歩したものです。大変賢い犬で、授業にも付いてきては教室の片隅で静かに寝そべって待っていました。ある時、「青年心理学」の授業で、珍しくジョンが「フワ―ッ」と声をあげて大あくびをしたものだから、学生たちはみな大笑い。先生が「どこの犬かね」とジョンをにらんだこともありました。
そんな、学生時代をずっと一緒にすごしてきたジョンでしたが、教師になった私の最初の赴任先が新見市に決まり、ジョンは後に私の奥さんとなった、当時の彼女の実家で預かってもらうことになりました。
それから2年後、昭和43年3月。私のもとに「ジョンが危ないよ」という電話が。急いで電車に飛び乗り、駆けつけたところ、私の到着を待っていたかのように、お腹をそっとさすってやっている最中に静かに目を閉じ、そのまま永遠の眠りにつきました。
その後、私は宇野小学校に転属、3年生の担任になりました。
子どもたちにとって、動物と触れ合うことは大切な教育のひとつだと思い、教室には亀、メダカ、ザリガニ、金魚。校庭のプレパブには犬やニワトリなどを飼育していました。
ある朝当校すると、プレハブの近くに、“金魚の墓”と書かれた割りばしを立てて、手を合わせている子どもたちの姿がありました。生き物への愛情あふれる姿に感動を覚えた思い出です。
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